飯田線と関わりが深い中央構造線

神社・パワースポットなど不思議がいっぱい

その謎を明らかにします! (オカルトじゃないよ・・・・)

中央構造線とは
Wikipediaより
今から数千万年前、北側の領家変成帯と南側の三波川(サンバガワ)変成帯が衝突して日本列島の基礎ができました。この境目の断層を中央構造線と呼びます。(赤線)
各地に地震の記録があることから、まだ押し合う圧力は残っていると考えられます。
その後、日本列島は東西に真っ二つに割れ、フォッサマグナができました。(橙色の部分)
さらにフィリピン海プレートが日本列島の中央部に衝突し、南から来た島が次々と日本列島に衝突しました。現在は伊豆半島がぐいぐい押し付けられている最中です。
フォッサマグナの西の境を「糸魚川−静岡構造線(糸静線)」と呼び、中央構造線とは茅野市付近で交差し、ちぎれた中央構造線の断片は数km以上も北西の諏訪湖付近まで押しのけられています。
地図を見て分かるように、伊豆半島を中心に中央構造線はぐにゃりと曲げられていますね。ものすごい力が中央構造線に及んでいることが分かります。

浦川駅の出会い 2011.12.25

この日、引退間近な119系電車の撮影のために浦川駅に降りました。
まだ時間があったので撮影場所探しも兼ねて周辺を散策することにしました。
すると駅前に看板があります。これが中央構造線との出会いでした。

飯田線の難工事の原因になった事などで、もちろん存在は知っていましたが、足の下に大断層がある事を知り、薄気味悪い感覚に襲われました。断層といえばやはり地震です。飯田線は大丈夫なのか心配ですね。これをきっかけに中央構造線に興味を持ちました。

◇ケルンコル
駅の近くの解説看板を訪れました。

断層上は砕けた岩石が風化して崩れやすくなり、そのために出来たくぼみをケルンコルと呼ぶそうです。飯田線はこの近くをトンネルで通過しています。

高台から望むと右端のケルンコルから浦川駅を通って左の丘陵へ中央構造線が通っています。


上写真の左を沢伝いに少し進み、ちょっとした峠を越えると上市場駅方面に出ました。
中央のブルーシートはがけ崩れ復旧工事中で、列車は最徐行しています。

中央構造線は右の山の中を通っています。左奥が上市場駅、さらにたった600m先が出馬駅(いずんま)です。この駅間距離は飯田線最短ですが、その間で中央構造線を横断します。

2009.11
以前の写真ですが、右が上市場駅。左奥の築堤付近を中央構造線が通ります。
この日は飯田線と中央構造線の密接な関係が良く分かりました。もし地震があれば飯田線はタダでは済まないでしょう。恐るべし中央構造線

岡谷探検 2011.12.29

正月休みを利用して本格的に研究してみることにしました。
まずはフォッサマグナにちぎられた断片を探しに岡谷から下諏訪まで探検してみます。
諏訪湖北部山中に中央構造線が発見されていますが、活発な火山活動や河川の堆積により諏訪湖のあたりは良く分かっていません。

これまで中央構造線について調べたところ、神社パワースポットが多いことを知りました。
古代のシャーマンは中央構造線に気付いていたのでしょうか?謎ですね。
気分は水曜スペシャルです。(懐かしい!) 川口浩探検隊モードで進行しますよ!

岡谷駅から少し進むと単線なのに長大な高架橋が現れます。(平成8年完成)


周囲の石垣などを観察しても特に特徴はありませんが、しばらく進むと不思議な状況を発見しました。橋脚のタイプが変わり、まるで川を越える程のスパンがあります。
震撼しました。平成のシャーマンはJRにいたのです。


勇気を振り絞って直下に潜入します。おお、何もありません・・・・。
しかし気づきました。左前方の建物は「ダンス教室」ではありませんか。
ダンスといえばサンバ、三波川変成帯を暗示するに違いありません。
きっとここを中央構造線が横切るのでしょう。


すぐ先で再び二本橋脚のタイプに戻りました。
しかも「この土地はくよう・・・」ですと?(供養の誤字と断定)
ゾッとします。行政はいったい何を隠しているのでしょうか?


その時、遠くから聞き覚えのある轟音が近づいてくるのに気づきました。
119系の凱旋です。早朝豊橋を発ち、中央構造線上を走破してきた勇者です。
そのウィニングランを見守りました。ありがとう、そしてさよなら119系。(3月末引退)


横河川に到達。この上流で中央構造線(の岩石)が発見されています。


さらに歩いて下諏訪駅に到着。
冗談はともかく、岡谷−下諏訪間の深部を中央構造線が通っていると思われます。
中央構造線が糸静線によって分断されたとすると、横河川上流の延長線上に中央構造線は存在し、それが糸静線との摩擦によって緩やかに湾曲しながら、.諏訪湖南端付近に到達すると考えられるからです。
言わずと知れた温泉地。駅前にも温泉が湧き、地球のエネルギーを実感します。



佐久間発電所にて 2012.01.02

年が明けて飯田線中部を訪問しました。
119系で中部天竜駅に到着。反対列車は213系でした。



今まで気づきませんでしたが、レールパーク跡地の横に「緑色片岩」の標本が並んでいます。三波川変成帯の代表岩石です。淡い緑色とミルフィーユ状が特徴。


民家の玄関先にも置かれています。


このすし屋さんでは壁に埋め込まれています。当地では有名な石ですね。


天竜川のつり橋から南を眺めます。この辺りは天竜川上を通っているはずです。
よく見ると左の岸の岩は黒っぽくごつごつしています。中州は白い花崗岩です。


線路に戻りトンネルの上に登ります。


北の中部天竜駅方面を望みます。このトンネル付近を中央構造線が通ります。


トンネル上の道を進むとすぐに通行止めです。


もろい砂と小石の地質で崩れてしまっています。


左の斜面は緑色片岩に見えますが・・・・どうでしょうか?
近くを良く探せば断層の露頭があるかもしれませんね。


町を北上すると、石垣があからさまに緑色片岩ですね。


人鉄共用の天竜川橋梁を渡ります。
結論から先に言うと、写真中央右よりの「がけ崩れ」が本命でした。
今回は時間の都合で飯田線沿いを北上したのみでしたので、また再訪しましょう。
左は35万kWの佐久間発電所です。


275kVの送電線。割と低いです。ジジジジジジといかにも危険なノイズが聞こえます。
夜ならコロナが見えるかもしれません。
眺めているとハッと気づきました。交流コロナ放電に気づいた最初でした。
(後に直流放電でも空気は電離することが分かりました。)


飯田線に沿って北上します。河内川を鉄橋が越えます。


川底を見ると緑色片岩が見えました。


峰トンネル入り口に到達。猿がやたらと騒いでいます。


沢の底をのぞくと庭石に良さそうな大きな緑色片岩が見えました。


佐久間駅に引き返します。図書館と共用です。


ホームに出るとこんなところにも緑色片岩が。
ここに元々あったとすると位置がおかしいですが、もちろん運ばれてきたのでしょう。



水窪の神社発見

引き続き水窪へ移動しました。


浜松市最奥の大きな街です。奥の山中を中央構造線が通っています。


翁川と水窪川の合流地点。白い石が多いようです。


翁川を北上しますが、やはり花崗岩でしょうか?


大原トンネルの南側から北を見た様子。中央の鞍部辺りを通っています。
とするとケルンコルと呼んでもいいかもしれません。


大原トンネル出口。この辺りを通っています。トンネルはぎりぎり中央構造線を避けたのでしょうか?昭和のシャーマンの仕業?いや、ちゃんと調査したのでしょう。


ケルンコル西側のセメント工場。石灰岩が出るのですね。
まだ詳しくありませんが石灰岩は新しい時代のはずです。ウソでした。勉強しましょう。


セメント工場から見下ろすと祠を発見。


新しそうですが立て替えたのでしょう。ケルンコルの直下です。


反対を向くと、南に新たなケルンコル出現


望遠でのぞくとその直下にも神社があります。


北のケルンコルを越えて国道に出ると北へ続く谷が見えます。
この先に有名な青崩峠があります。


別の道で引き返すと不思議なものがありました。
いったい何から何を守っているのでしょう?
左側が北のケルンコルですが全く高さはありません。崩れてもたかが知れています。


山に沿った道を南下します。斜面はどこも脆く、見ているうちにもザラザラと砂が落ちてきます。


沢の岩は花崗岩に見えます。


南のケルンコル辺りで東に下りる道があります。ここにも神社が?


鞍部に朽ち果てた小屋のような物があります。山の上なのにジメジメした湿地です。
なぜ湿地に建築物が?


ここが南のケルンコルでしょう。携帯のGPSで確認しました。
北側が望めます。


さらに東側の斜面を登ると神社がありました。鳥居が無残で気味が悪いです。(失礼)
もう確信しました。中央構造線に沿って神社が林立しているのは確かです
北のケルンコルとここの間は直線距離でわずか690mですが、神社・祠は3つ目です。
だいぶ読めてきましたよ明智君。
気味悪い森の中、気味悪くひとり笑いを漏らすのでありました。


水窪駅に戻ります。大きな収穫の一日でした。



その2へつづく


中央構造線の謎
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