中央構造線の謎
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断層探検16

砥部衝上断層  2017.12.29
四国の中央構造線露頭を訪問しました。
松山市駅からバスで数十分、終点で下車します。

その名も「断層口」。

郊外のバスにしては、なかなかの頻発ダイヤです。うらやましい。

見わたしても、はてどこかしら?
田舎の風景が広がっています。

なんとなく進むと公園到着。
誰もいません。

砥部川に露頭があります。
左が内帯、右が外帯です。


内帯が外帯に乗り上げ(衝上)ています。

茶色い部分は、断層に沿ってマグマが上がって来たそうな。

看板をよく見ると、何やら違和感のある説明です。
人間の時間感覚を持ち出してもねぇ。

対岸を観察します。
中央構造線に沿ってマグマが上がって来たという露頭は、前にも見ましたね。

手前の露頭も同様ですが、いつもの露頭とは様子が違います。

北を望む。


足元の外帯は不思議な砂岩 礫岩ですよね。
外帯と言われても違和感があります。
変成岩ではありません。

見たこともない岩です。
まるで粗いコンクリートのよう。

乗り上げると破砕帯は生じないようですね。これは下仁田と同じです。


南を望む。

まずは南の外帯を見て回ります。

100mほど進むと、岩石庭園出現。

これはド迫力です。
下仁田と同じ、青岩ですね。

青岩と礫岩の間にも断層があるのでしょうか?
特に注目はされていないようです。

この礫岩百メートルの帯に、外帯が地表に現れた秘密があるようですね。
内帯との間にがある時代があったのです。

川底に青岩が続きます。

せっかく遠くまで来たので、十分に見て回ります。

砥部川左岸を進むと、やはり山の斜面は外帯です。

砥部川を見下ろすと、ひときわ立派な青岩があります。

愛媛県といえば柑橘類。
外帯はみかんの名産地ですね。
三ケ日、有田、伊予柑。
やはり地質に共通するものがあるのでしょう。

かなり進んで、ようやく橋があります。

砥部川を渡ります。
川底の奇岩は観賞に値すると思いますが、名勝に指定されているわけではありません。もったいない。

さらに南は四国山地の大山塊です。

砥部川右岸も、もちろん外帯。
緑の崖です。

北へ戻るとバス停があります。
こちらの終点は「大岩橋」。
砥部町のバス網は充実していますね。
二路線がそれぞれ1時間間隔です。

核心部へ下りるのは禁止。残念。

ここが断層直上です。
かなり斜めの断層なので、地表の境界はもっと左(南)ですが。

ここからは内帯を探検します。

道端の岩は青岩ではありません。

川底の青岩もなくなりました。

町の中心部に大宮八幡宮。

裏を砥部川の支流が流れています。
川底の岩は、たしかに青岩ではありません。


帰りのバスで「高尾田北口」下車。
すぐに重信川に出ます。

公の資料では、西の山の辺りに伊予断層があります。

断層は重信川を越えて、重信断層となり、東へ続いていきます。

この地域では中央構造線本体は不活発で、活動は北側の断層に集中しているそうです。

石鎚神社  2017.12.30
中央構造線直上の大神社を訪問しました。
予讃線 石鎚山駅下車。
駅舎は寺社風です。

駅の近くに大鳥居が見えます。
山のふもとが中央構造線(岡村断層)です。

西は、前日の重信断層や砥部町へ続く隘路があります。
松山自動車道が通っているはずですが、なぜか見えません。

南へ進みます。

石積みは青岩ですね。

ずっと急坂です。

ふり返ると道が曲がっています。
右横ずれなら定説通り。

神社なのに山門あり。
以前は神仏習合のお寺だったようです。

山門に天狗像あり。
一瞬、天使かと思った!
石鎚山は修験の本場ですね。

寄進者の名前が並びます。

上級者は匿名ですか!

ここが自作の地図では直上。
本家のも至近です。
だいたい間違いありません。

その長い階段の上が社殿です。

駅からここまで、ずいぶん登りました。

手水の水盤は外帯の岩ですね。

注連縄はなぜか出雲系。

やっぱりハンマーがシンボルのようです。

北を望む。
瀬戸内海が見えます。
足元は明瞭な断層崖です。

東を望む。
中央構造線は、一直線に続いています。

見事な石積みはやっぱり外帯の岩。

もちろん石鎚山がご神体でしょう。

まさか車で行ける、・・・はずはありません。でも電話はあるんだ!



地図によると、近くに気になる神社があります。

その名も、一宮神社
「いっく」と読むのかもしれません。

小規模ですが、本殿付きの本格派。

西条市のホームページによると、伊予国一ノ宮 大山祇神社に関係があるようです。まさか前身なのか?

神社の前は、何やら穏やかな空間。
あったか、ポカポカ。

12月ですが、桜と菜の花!?
ありえない程ではないですが・・・。


ひと駅先の伊予西条駅下車。
駅前には青岩が飾られています。

跨線橋から南を望むと、幽玄な四国山地が拝めます。

雲の切れ間に、これが石鎚山でしょうか?
古いカルデラ火山
中央構造線沿いに並ぶ火山のひとつです。

田村神社  2017.12.30
四国に来たついでに讃岐国一ノ宮を訪問しました。

JRと高松琴平電鉄を乗り継いで、一宮駅下車。

線路に沿って進むと、参道に至ります。

まっすぐ300m。
間もなく日没、急ぎます。

社殿に到着。
讃岐国一宮 田村神社
なぜか出雲系の注連縄。

境内を見ていると、ここにもビシッと桃太郎出現。
なんと祭神のひとりが吉備津彦命です。
後ろの女性も祭神のひとり、倭迹迹日百襲姫命。
箸墓古墳の主、そして卑弥呼(=アマテラス)の可能性もあります。
じつは二人は姉弟です。

ならば吉備津彦命はスサノオじゃないのか!?
古代史パズルはなかなか難解です。


北の裏口が、なぜか最も立派。
車で来るなら正門ですが。

日没を迎えました。


隣の駅へ向けて進むと、何やらあります。

地図によれば辻堂池。
讃岐平野は雨が少ないので、ため池が多くあります。
田村神社も水神信仰が元になっているそうな。

鳳来寺カルデラ  2017.12.31
飯田線が走るカルデラを探検しました。
※文献では設楽火山や設楽コールドロンと呼ばれています。
三河槙原駅下車。

次の電車まで2時間半。
たっぷり探検しましょう。

駅からさっそく奇岩が見えます。

説明看板によると流紋岩の山。
花崗岩と同じ組成です。
流紋岩はカルデラ火山と関係が深いようです。溶けてもネバネバなので、流れずにドカンと大爆発します。

岩塊が散らばっています。
ガラス質の松脂岩でしょうか?
条件によっては黒曜石になるそうです。へー。
諏訪の塩嶺火山もカルデラなのかな?


ここは断層だそうな。
久しぶりに見るケルンコルです。

おっかないトンネルを抜けると宇連川が見下ろせます。
板を敷いたように見えるので、別名は板敷川。板の正体もガラス質の流紋岩なのでしょう。

対岸も奇岩の山です。

トンネルの壁には節理が見られます。
マグマが急に冷える過程で、縦や横に割れた形態です。
つまり、ここは火山の跡なのです。

道を引き返して進みます。

宇連川に大きな橋が架かっているので、ちょっと渡ってみます。
下に古い橋の跡も見えます。

近くに神社発見。
六社神社

賽銭箱の前にヒモロギがあります。
年末年始の風習でしょうか?
これが原初の神社の形です。

神社の裏は宇連川。
飯田線も宇連川に沿っています。


飯田線名物の、岩盤が支える架線。
崖がこんなに迫っています。

こんどは森林を進みます。
飯田線沿線はウォーキングに最適です。
平均駅間は2km。疲れたら電車に乗ればいいので気楽です。

この辺りはシダが繁茂しています。
そういえば、八ヶ岳や富士山の周りもシダが多いような気がします。
火山共通の特徴でしようか?

岩山が崩れるのでしょう。
あちこちに落石止めがあります。

隣の柿平駅到着。


まだまだ時間があるので先に進みます。

板敷も続いています。


飯田線は大規模なロックシェッドに覆われています。
岩山が迫っているのでしょう。

宇連川には板敷が露出しています。
川底が板敷の地域がカルデラの範囲なのでしょう。いい目安になります。

なんと高速道路が見えます。

三遠南信自動車道。
全通はまだまだ先です。
青崩峠のトンネルは、やっぱり難航しているようですね。
すでに計画変更で大トンネルがひとつ放棄されています。

電車に乗っていてもわかりませんが、飯田線の頭上に巨岩が迫っています。おー怖っ。

この先の鳳来湖あたりがカルデラの中心と考えられます。


三河川合駅到着。

北東を望む。


南東を望む。
同じような高さの山が見えます。
古いカルデラなので外輪山は不明瞭です。著名な鳳来寺山も外輪山なのでしょう。


推定外輪山を描いてみました。およそ直径10kmになります。
直線状の中央構造線は飯田線に沿うはずなのに、実際は花崗岩地帯ごと、大きく南にずれます。
なるほど、カルデラに押し出されたのですね。


すこし時間があったので散策すると神社発見。
なかなか大きな諏訪神社
御柱はありません。


神社の裏を宇連川が流れています。
もちろん、ここも板敷。

おおむね湯谷温泉駅から三河川合駅までがカルデラの中です。
飯田線をご利用の際は、ぜひご注目ください。
阿蘇山のような、巨大火山の中を進む興奮が味わえます。(地学マニアだけかしら?)
目印は板敷ですよ。


鹿児島の一ノ宮訪問  2018.05.04
今年の連休は九州南部を訪問しました。
新幹線駅、川内(せんだい)に前泊。
4月に風邪をこじらせたせいで、病み上がりです。しかも右足が痛い


駅の北西に見える山が目的地でしょう。これは遠い・・・。


タクシー乗り場は空。
もう諦めようと思ったけれど、奥の建物にタクシー屋さんをみつけました。


入口に下ろしてもらいます。
看板によると二ノ鳥居

一ノ鳥居は・・・、見えません。
南へまっすぐ続く参道の先にあるようです。


太鼓橋を越えて進みます。


山の上だから、やっぱり大階段。
わかってはいましたが、足を引きずりながら登ります。ヒー!


なんとか社殿到着。
薩摩国一ノ宮 新田神社

一週間寝込んで歩かなかったせいで、ついに発症してしまったようです。
願いは一つ「痛風退散!」

期待していた眺望が利かないので下山します。(階段の途中で振り向いておけばよかった。)

近くの駅に向かいますが、「えのみささぎ」があるそうな。

本殿の奥に古墳があります。
どうやら神社は後付けですね。

なんと祭神ニニギノミコトの墓です。
天孫降臨と、認知でもめたので有名。
でも、今なら神代を超えるDNA鑑定で言い逃れはできませんね。


ふもとから見ると小山を利用した古墳ですね。吉備の中山と似ています。


通りに出ると看板があります。
なんと薩摩川内市は国府でしたか。
国府を置く際に、近くに一ノ宮を定めたのでしょう。

上川内駅から乗車して、川内川を越えます。
このどこかを仏像構造線も通るはずです。そして近くには原発も・・・。


列車を乗り継いで鹿児島中央駅到着。
来る度になぜか必ず撮影する駅前風景。観覧車と若き薩摩の群像です。


日豊線で姶良カルデラを眺めながら隼人駅下車。



はて、これは何かしら?
何かを強く拒絶するようなデザイン。

路線バスで入口に到着。
まだかなり遠いです。


こちらの階段は、まだましな方ですが、だんだん足へのダメージが蓄積してきました。


由緒看板を眺めていると唐突に御陵(みささぎ)の表記があります。
どうやら祭神のお墓のようです。

大隅国一ノ宮 鹿児島神宮
正面に賽銭箱がありません。
おや、どこでお参りするのかしら?

中庭のようなところで見渡しても判然としません。
右が本殿のはずです。

中間の建物が拝殿でした。
正月は通路の往来が厳しそうです。

もちろん願いは痛風退散!


桜島が見えます。
ここは桜島、そしてマグマ本体の姶良カルデラの鎮めなのでしょう。
姶良カルデラは約3万年前に破局噴火を起こしています。

近くに真新しい石體神社。


ニニギ氏の息子、認知でもめた「山幸彦」が住んだ高千穂宮の跡だそうです。


空港が近いようです。
飛行機が行き交う古代の首都。

公園でしばらく足を休ませます。


天孫降臨の霧島も近いですね。
神話の中の古代史は、大変興味深いです。

神社のある丘陵は姶良カルデラの外輪山なのでしょう。同じような高さの山がぐるっと取り巻いています。


途中にあった隼人歴史民俗資料館を訪問。


学芸員氏が出てきたので「これは何ですか?」と尋ねると、隼人の盾だそうな。
現物が出土したのは奈良、平城京。
隼人は中央に従わず、一部が強制移住させられたそうな。天孫族の出身地なのに。
明治維新や西南戦争にもつながる話ですね。

縄文遺物は7500年前で終了。
これは鬼界カルデラの破局噴火の影響でしょう。

元社会科教師と思しきご高齢の学芸員氏に、いろいろとご教授いただきました。
鹿児島は桜島の古名ですと!
鹿児島神宮は、ダイレクトに桜島の鎮めでした。

どうやら霧島の古名も高千穂のようですね。さて、クシフルタケとはいずこ?


周辺は姶良カルデラの溶結凝灰岩で出来ています。
噴出量は500立方キロ。
一辺1kmの角砂糖が500個飛び出たと思うとわかりやすい・・・、いや想像を絶しますね。


小説「死都日本」の舞台 加久藤カルデラ  2018.05.04
「破局噴火」の語源となった小説の舞台をたどります。

肥薩線で姶良カルデラの外輪山を越えて、吉松駅下車。

もうここは加久藤カルデラです。
南東に霧島が見えます。

北を向くと、西には外輪山が見えます。
西へ3km、外輪山の中には菱刈鉱山があります。を年6~7トンも産出する大金鉱です。


周辺を歩いてみようと思っていましたが、足が限界です。
レトロな気動車で進みます。


7駅先の小林駅下車。
ここは小林カルデラと呼ばれる別のカルデラです。
南西に霧島。左は高千穂峰でしょう。
小説では「じょうご型噴火」によって霧島連山はすべて吹き飛び、ヤマト文明は滅びます。
カルデラは陥没して出来るのではないのですよ。

新燃岳は落ち着いているようですが、別の噴気が見えます。
4/19に噴火した硫黄山でしょう。
霧島は日々変化しています。
古代人がクシフルタケと呼んだ峰は、もうないのかもしれません。

折り返して京町温泉駅下車。
駅舎は近々使用終了のようです。
鉄道旅も一期一会が当たり前、変化し続けています。


駅の近くから加久藤カルデラの外輪山を眺めます。
近代文明は、直径数キロの穴が開くような破局噴火をまだ経験していません。
この日は温泉宿に投宿。ほんのり粘土の香りがする、さらっとした湯でした。
「カルデラ+温泉=金鉱」
まだまだ未発見の金鉱はありそうですね。

翌日、吉都線で進みます。
右車窓に霧島。

噴気もよく見えます。


横顔は穏やかに見える山々ですが、地図を見ると穴だらけの荒々しい火山です。
神社の和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)を思い出します。

乗車から40分。
小林カルデラの外輪山にさしかかると、霧島は後方に去っていきます。

霧島の鎮めは霧島神宮(神社)なのでしょう。
車窓からも東霧島神社が見えました。
学芸員氏も「神社で火山を鎮めようとした」旨を語っておられました。

おまけ
日豊線 都農駅下車。
タクシーで入口まで来ました。

日向国一ノ宮 都農神社
意外と小規模です。


祭神はオオクニヌシ
天孫降臨の日向で、なぜ出雲系なのか?
謎ですな。


豊前国一ノ宮訪問  2018.05.05
旅は続きます。
都農駅から再び日豊線に乗り、時刻表とにらめっこしながら特急を乗り継ぎます。
宮崎と大分は特急でも3時間。
新幹線は偉大ですね。

ようやく宇佐駅下車。

タクシーで表参道入口に下ろしてもらい、歩いて進みます。
時計はもう17時。夏場でよかった。

広大な敷地に圧倒されます。

ここの社殿も、モノレールがあるほどの急坂の先。でも新田神社に比べれば軽い軽い。


豊前国一ノ宮 宇佐神宮

参拝者を見ていると手を四回たたいています。
行ったことはないですが、出雲大社と同じですね。
これを書いていて、宇佐と打ち込もうとして須佐と出たのでたまげました。
ウサとスサ(之男)・・・、もしや?

遠くの山に奥宮があるようです。

調べてみても、近くに断層や火山はないですね。いったい何の鎮めなのか?
もっとも九州は火山噴出物に厚く覆われているので、中央構造線ですらルートは不明です。



南は急崖。
典型的な立地ではあります。


神社おすすめの下宮ルートを巡ると、妙に光あふれる空間に出ました。


新緑が輝いています。

元はお寺があった場所だそうです。


近くに一柱騰宮跡(あしひとつあがりのみやあと)とあります。
日本書紀に、神武東征の途中、土地の有力者がごちそうでもてなした場所とされているそうな。

まるで堀のような寄藻川。
社殿があるのは切り立った丘の上。
まるで城のような立地です。
さては神武に攻められて降伏した豪族の城跡なのか?
もしそうなら、神武に「ごちそうした」とは味な表現をするものです。

なかなか面白い想像をさせてくれる神社でした。


諏訪の守屋山は宝の山なのか? その一  2018.05.20
加久藤カルデラの地質図を眺めていると、菱刈鉱山のある外輪山は石英の比率が高い流紋岩です。金や銀と石英は仲が良いらしく、温泉(熱水)に一緒に溶け込んで鉱脈を作るようですね。


近所に流紋岩はないかしら? 探してみると、あっさり発見。
なんと諏訪大社上社のご神体、守屋山一帯ではないですか!
しかも前宮と本宮の間に諏訪神宮寺火山なるものまで発見。知らんかった・・・。
至近に中央構造線や糸静線もあります。鉱脈ができるなら絶好の立地ではないですか?


大きな声では言えませんが、
今回は金山探しです。

茅野駅下車。
暑くも寒くもない、ウォーキングには最高の季節です。

駅前商業施設の裏に鳥居発見。
これも知らんかった・・・。
正式なのか、観光用なのか、前宮の鳥居なのでしょう。

ちなみに鳥居のすぐ先は断層崖です。

鳥居はくぐらずに、東から回り込みます。
中央線の右奥は木落とし坂
御柱を崖下に落とす場所です。
古代は諏訪湖に落としていたのでしょう。

御柱はこの道を引きずられます。
神となる柱をなぜゴリゴリ引きずるのか?崖から(湖に)落とすのか?
試練を与えて、鍛えているかのようです。

上川に沿って進みます。
案外、茅野は北アルプスがよく見えますね。

南西に守屋山、のはずですが、近すぎて山頂が見えません。
左端が杖突峠。
ここを中央構造線が通ります。


中央道を越えると、宮川の川越し
古代に諏訪湖を曳航していた名残なのでしょう。橋があっても、御柱は川を渡ります。

公園の先は屋根はないけど御柱屋敷
川越しを終えた御柱8本を休ませる広場です。

御柱とは何なのか?最近ようやく謎がとけてきました。

謎はどこにも転がっていますね。
いったい何があったのでしょう?

犯罪がらみなのか?
廃車済みなのか?
ちょうど自動車税の季節、このナンバーの車の持ち主は払っているのでしょうか?
疑問が尽きません・・・。

前宮到着。
地学的には中央構造線と糸静線が交差する重要地点です。


案内図を見ると、前宮本殿(本来は拝殿)の奥にも古墳や神社があるようです。


参拝の皆さんは御柱を「立派だ」「ありがたい」と言いながらナデナデしています。
いったい何にあやかりたいのか?その願いは縄文時代から続いているはずです。


何かの本で本殿の奥は禁足地と読んだ気がしますが、遊歩道があるようです。


かつて?の禁足地は中央構造線の通り道と一致します。
探検してみましょう!


道端の大きな岩に新鮮な断面が見えます。
地質図によれば、この谷は安山岩か玄武岩。黒くはないので安山岩かな?


たしかに古墳があります。
イズモ系豪族の墓苑なので禁足地だったのかもしれません。


まもなく巨大な砂防ダムに道を塞がれました。
ここは山の神の神域のようです。


足元の石を観察してみます。
もし白い筋が石英なら、こういうのが求める金鉱脈のはずです。
これはただの小石ですが・・・。

引き返して、前宮を見下ろしながら遊歩道を進んでみます。

足元の石の様子が変わりました。
穴だらけなので軽石でしょうか?


この道は鎌倉街道でもあります。


地図および看板によると峯の湛え
伊那谷にも伝わる、「湛えの神事」をした場所です。

なぜこんな山奥に鎌倉街道があるのか?


ご覧のような標高です。


おっと手前には問題の諏訪神宮寺火山の小山
溶岩ドーム?だそうです。
検索しても詳細不明。諏訪の謎がまた増えてしまった。

これが軽石なら、かつて諏訪湖がこの高さまであって、(水に浮く)軽石が流れ着いたのでしょうか?
それなら鎌倉街道が高い所を通る謎も解けますね。


ふもとに下りると守矢家があります。
表札の肩書は神長官
同じ読みの守屋山と無関係ではないでしょう。



邸内の博物館を訪問します。


いきなりウサギの供え物。
もちろんヤマトには無いスタイルです。

鹿の脳和(のうあえ)。
人気漫画「ゴールデンカムイ」でおなじみの、チタタプですね。
ヤマト民族の食べ物ではありません。

狩猟民族100%です。

根曲太刀。
アイヌ(蝦夷)が愛用した蕨手刀というやつでしょう。
モレヤ氏は間違いなく縄文人(アイヌ)ですね。

邸内の御頭御社宮司総社
ミシャグジの総本社でしょう。

NHKスペシャルのおかげで、ハワイからも訪問者があるそうな。
たしかに諏訪の古代史は本当に面白いと思います。


守矢家の近くに旧杖突峠入口の道標あり。
中央構造線をたどる街道です。

諏訪神宮寺火山に続く北斗神社の長い階段。
看板に溶岩ドームの紹介は・・・やっぱり無し。
近所の人も、ここに第四紀の火山があるとは知らないでしょうね。

手すりがないので恐ろしすぎてパスします。


本宮到着。


最も立派な本宮一之御柱
太くて堅くて長い棒を、長い行程で徹底的に鍛えた後、樹皮をずるむけにして・・・、


先端に彫刻をほどこし、垂直におっ立てます。
きっと古代はもっとリアルな彫刻だったでしょう。(イズモが公序良俗違反を理由に、リアルなのは禁止にしたのかもしれません。)

もうお分かりですね。
御柱=ミシャグジ=しんぼる なのです。
生命力と繁栄をビンビン象徴する縄文の神。
各地の御社宮司神社のご神体が石棒であるのも重要な根拠です。
(今回は、お下品な表現にご容赦を)

いつ来ても迷路のような配置が不思議です。


おや温泉手水
見逃していた!


そろそろ足が限界なのでバスで帰ります。
近いうちに、本宮の奥、流紋岩地帯に潜入してみましょう。

なぜか閉館中の諏訪市博物館に足湯あり。
温泉を加えて、キーワードがそろいましたね。

流紋岩、火山、温泉、おまけに二つの構造線。
熱水鉱床存在の可能性は高い・・・はずです。


ここから下諏訪まで湯元が続いているそうな。
それは金鉱脈と一致したりして。

おっと来週、リニューアルオープン。
すわ大昔情報センター新設!
古代史好きにはたまりませんな。


客ひとりのバスは諏訪湖に出ました。


右車窓に豊田終末処理場
諏訪圏全域の下水処理場です。
10年ほど前、ここの汚泥から高濃度の金が発見されました。
出所はまだ謎です。


各地で見かける謎の国、諏訪の国のポスター。
諏訪の謎は深淵です。




諏訪の守屋山は宝の山なのか? その二  2018.06.03
梅雨も近いので、気になるフィールドワークを済ませておきます。

路線バスで神社前下車。
再オープンした諏訪市博物館を訪問します。
御柱や諏訪の伝説などを学べますが、本宮に比べてお客は少な目。
交差点には信号を設けて誘導するべきでしょう。
注目のすわ大昔情報センターは図書館でした・・・。


足湯も再オープン。

誰もいないので、手でお湯に触るとなかなか適温です。


今日も本宮を訪問しておきます。

拝殿近くの手水は冷水です。
案内看板にある温泉手水はどうしたのかしら?

観光客の皆さんの注目はやっぱりミシャグジ様です。諏訪人だって、神社よりこっちが大事♪

縄文少女「お父さん、ミシャグジ様って何?」
縄文パパ「そういうことは、お母さんに聞きなさい」
縄文ママ「ちょっと、お父さん!」
縄文パパ「んー、大蛇だったっけな? 父さんのキングコブラもときどき猛毒を━━━」
縄文ママ「バカ!!やめなさい!」
縄文少女「・・・・・・・・?」

現代の性教育と同じですな。昔から核心を教えてこなかったから、謎の神になってしまったのでしょう。でも諏訪人の多くは自然と感づいています。


西口の波除け鳥居を出ます。
その名は、諏訪湖がここまであった証拠でしょう。

すぐ横に異界の入り口。
潜入してみます。

すぐに立ち入り禁止。
本宮の禁足地は現役です。

工事用柵とは少々無粋ですね。
ここは注連縄でキメていただきたいものです。

別方向の道は遊歩道です。

急坂を登ります。
ここはもちろん糸静線の断層崖

足元にクルミの殻が転がっています。
このデザインは、縄文土器にも使われているような記憶があります。
縄文人の好物だったのでしょう。

道は続いていますが・・・、

神体山は立ち入り禁止。
神体山=流紋岩地帯なのですが・・・。

草が深く、あまり岩は見えませんが、白っぽい石も少しは転がっています。

周囲には古墳や西山配水池があります。ここも豪族の墓苑だったのでしょう。

沢が現れました。

近づけないので、よくわかりませんね。

林道の先も、立ち入り禁止看板。

断層崖は固められています。
先には水道のタンクしかないのに、念入りです。

ふもとに下りてきてしまいました。
収穫無しか・・・。

断層崖に沿って、もう少し進んでみます。

道端の岩はいろんな種類があります。

左の岩を観察。
この目で大石英脈を見てみたいものです。
しかし、もう武田の金山衆が探査し尽くしているのかもしれませんね。

遠くに諏訪湖。
諏訪湖の周囲は新旧の火山だらけです。

現在は否定されていますが、諏訪湖は火口湖だという説もありました。
はるか遠い昔、カルデラ火山だったとしても不思議はありませんね。

本宮へ向けて引き返すと、怪しい小屋があります。

住宅地の中に神宮寺第1源湯


ちょろちょろ、かけ流しです。
触ってみると、かなり熱い。

泉質はナトリウム・塩化物泉
塩泉は金山に共通するそうです。

すぐ近くにも、ポンプかしら?
諏訪ではよく見かけます。

こちらも結構な流量でかけ流し。もったいない・・・。
下水には流れずに、河川を経て諏訪湖に注ぐのでしょう。ごく微量のが溶け込んでいるのかもしれません。
ということは・・・。

源湯の北には、料金を払えば誰でも入れる宮の湯があります。
本宮の鳥居がすぐそこ。


たらいを片手に、お客さんでしょう。
徒歩圏に温泉があるとはうらやましい。
もっとも諏訪では自宅に温泉を引いている家も多いです。もちろん有料ですが。


本宮に戻ると、一之御柱の近くに明神湯発見。
温泉手水が移転したのでしょうか?


路線バスで諏訪湖近くに下車。


間欠泉が有名ですが、現在は少々人工的だそうです。
本日は終了の模様。


下水だけで年間数kgの金が採れるのなら、何万年も温泉が流れ続けた諏訪湖には、どれだけの金が堆積しているのかしら?
金山は諏訪湖底にありました


おまけ
諏訪湖から上諏訪駅を通り越して、再び山登り。
もう夕暮れです。


諏訪の地図で「金山」を検索すると見つけた金山稲荷。祠ですね。
他にも金山公民館があります。
上諏訪駅の裏山に金山という地名があったのかもしれません。


堀川断層  2018.09.16
名古屋市中心部を南北に貫く断層を探検しました。

地下鉄 名城公園下車。
名城公園からスタートします。

朝から、なかなかの賑わい。
奥に進むと、青年が気持ち良さそうに熱唱しています。



堀に到達。
鉄筋コンクリの展望台は、木造で建て替えるそうな。
金のある市はさすがです。

石垣が熱田台地の北端です。
大都市になってしまったので、本来の地形はわかりにくそうですね。

この櫓が熱田台地の北西端。
そして堀川断層の北端とされています。

台地の北端は、西にまっすぐ続いています。
それも怪しい怪しい。

すぐ近くに堀川
川といっても人工運河です。

北に丘陵は見えませんが、伏在しているという説もあります。


南下すると怪しい屈曲が見えます。

振り向くと石垣の突端。
このラインが堀川断層です。

延長上には堀川の船着き場。
石碑によると堀川の当初の北端です。

東は緩やかな勾配。


今日はこの道を、堀川沿いに南下します。


すぐに黒住教の施設。

後で気付いたのですが、この断層に沿って新興宗教の施設がいっぱいあります。なぜ?



駐車場の先に、明瞭な断層崖が見えます。
数メートルはあります。

断層崖の下に古紙リサイクル業者。

宗教・駐車場(空き地)・リサイクルはキーワードですね。
あとは福祉系です。

崖が突然消えています。

看板を見て納得。
名鉄の廃線跡でした。
その前は城の空堀のようです。

ゆるやかな勾配の上を名古屋高速環状線が通っています。橋脚の位置も、左右アンバランスなのも危うい!

どんどん進みます。
東には、いつも登り坂があります。

大きな桜通を横断。
西に1kmで名古屋駅です。

堀川に幅員減少やらスピート注意の看板あり。


航行している船はまったく見えませんが、まだ現役なのですね。

ここで少し寄り道します。
東の断層崖へ進みましょう。

自転車なら、ちょっと立ちこぎするぐらいの勾配でした。

数百メートル進むと白川公園。

名古屋市科学館を訪問。
なぜか激混みです。

地質系はいまいちでした。
霧箱や巨大テスラコイルの放電は見ものです。

予備校時代に一度来たことがありますが、こんな球体あったっけ?
建て替えたのかしら?


となりの美術館も入場制限中。
こちらは諦めます。

若宮大通の100m道路を戻ります。


堀川に到達。
勾配はほとんど感じませんでした。

堀川沿いは、あちこち水道管取り替えの真っ最中。さては耐震化を急いでいるのか?

勾配も復活。


船が見えます。
運河は水門で分岐しています。


断層崖の上に巨大マンション。

典型的な神社は見当たりません。
西向きになるからかな?


西のクイッと怪しい屈曲の向こうに森が見えます。

闇之森八幡神社。
クラガリノモリとは怪しい名前です。

地図をたどると、他にもいくつか神社がありますね。

立正佼成会の施設あり。

JRと名鉄がデッドヒートを繰り広げるウィンズ前を通過。
K塾生時代に何度か来たっけ。
「ベガはベガでも、ホクトベガ!」を思い出します。

この通り道に断層があることを、S少年は気づくはずもありませんでした。
阪神大震災の前年度のことです。

ここは階段になっています。堀川との高低差はずっと変わりません。


断層崖が迫ってきます。

堀川ウォーキング?の皆さん。
断層ウォーキングも、ぜひ!

仏教系の念法眞教の施設。

熱田神宮公園到達。

断層は西に曲がっていくようなので、たどってみます。

崖を登ると・・・、おや、さらに山があります。

これは断夫山古墳
被葬者は日本武尊の妻、尾張氏の姫とされています。

なかなか大きな前方後円墳。
名古屋城と同じく、熱田台地の端を利用したのでしょう。

「白鳥」とは、亡くなって飛んで行った日本武尊を意味します。

もう断層はよくわかりません。
勾配が緩やかになったようです。


大きな社叢は熱田神宮
堀川断層の南端です。古代は岬の突端だったそうな。

ご神体は三種の神器の草薙剣なのに、なぜ尾張国三宮なのか?不思議です。

お参りしようと思ったら、北に入口はありません。
そろそろ足が限界なので、探検は終了します。

JR熱田駅到着。参拝するなら名鉄に完敗の場所です。

大阪や北海道で大きな地震がありました。どちらも未知の断層の活動です。
「想定外」はもはや死語になりました。
日本はどこでも震度7がありうる、と覚悟するべきでしょう。
もちろん、近所に断層があれば見ておきましょう。ぜひ!

【お知らせ】
ホームページ運営元のジオシティーズが終了となります。
いままでご覧いただき、ありがとうございました。

探検のレポートは別の形で続けていこうと思います。
では、また、どこかでお会いしましょう!


完結