中央構造線の謎
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断層探検8
奈良盆地東縁断層帯と大神神社  2013.12.22
古代史の謎解きを求めて大和の国を探検しました。

JR桜井線 巻向駅下車。
近鉄王国の奈良でJRは元気ありません。

遺跡は「纏向」と難しく書きます。

世界ふしぎ発見を見ていたら、宮殿に天照大神が祭られていたそうな。

すこし南に進むと古墳出現。


重要な古墳のはずですが、案内看板はこれだけ。


箸墓古墳。全長278m。
古墳時代最初期の前方後円墳です。
でかい!

東に信仰の山、三輪山が見えます。


民間休憩所に「卑弥呼の里」。
やはり卑弥呼の墓なのか?


隣の池を掘った土で古墳を盛ったのでしょうね。貴重な平地に巨大な墓を造ったのはただ事ではないです。

卑弥呼の墓だとすると殉死者100余名
ぞぞっ!

三輪山と箸墓古墳の間を桜井線が走ります。
別名「万葉まほろば線」。


何かの記念碑は緑色片岩です。


ここは宮内庁の管理地。
立ち入り禁止です。発掘も行われていません。


前方部に鳥居が。
こっちが正面なのですね。


古代の地名は「大市」といいます。
古代都市の証拠でしょう。今は田舎ですが。


おや、だれか侵入中では?
どうしても気になる人がいるのでしょうね。

古墳を離れて東に向かうと国津神社


狭い道を車におびえながら進みます。


ホケノ山古墳。


前方部が小さいホタテ貝型の前方後円墳です。


埋葬の様子の復元模型。



後円部に登ると纏向遺跡全体が見渡せます。
ここがヤマトコク(邪馬台国)だったのかと思うと感慨深いですね。


振り返ると三輪山。
近くて形もいいので、ごく自然にシンボルとなったのでしょう。


慶運寺。
古墳-神社-古墳-寺、と直線的に並んでいます。


丘陵部に出てすこし南下すると茅原大墓古墳。卑弥呼の時代よりかなり後に出来たようです。


三輪山のふもと、ここが奈良盆地東縁断層帯。遠く京都まで続く大断層です。


あっとびっくり、+1.7kV
+1.2kVとの間をふらふらしています。


大神神社の大鳥居。
各地で見かける宗教都市のシンボルです。


平地に下りると+0.5kV


大神神社の入り口付近はぴったり0kV
さすが。


日本最古の神社を探検します。


長い坂道の参道。


拝殿です。神体は三輪山なので本殿はありません。


お急ぎの方向けの「特急祈祷」とは?(笑)


菊のご紋は皇室関連の証ですね。


宝物殿の近くで0.6kV


丘陵に沿って北へ進みます。


狭いところにある狭井神社
三輪山登山の関所です。

撮影禁止、飲食禁止の過酷な登山です。
私は引き返します。


断層崖に沿った道は「東海自然歩道」でした。


山の辺の道」とも呼ぶようです。


久延彦神社で展望が開けます。


森が邪魔ですが正面が畝傍山でしょう。


崖を下りると怪しい民間施設。


「新潟中越沖地震予知当り」ですと!


すこし先に若宮社
静かな神社です。


参道に戻るとすぐ近くを桜井線が走っています。


振り返ると三輪山。
地図を見ると「みわ」と読むのは三輪、神、美和といろいろです。


駅は山と同じ漢字の三輪駅。
タイミング悪く1時間待ちです。

跨線橋から三輪山と大神神社の森が良く見えます。

古代首都纏向、最古の大神神社、そして卑弥呼の箸墓古墳と、古代ロマン密度高すぎでした。


JRと近鉄を乗り継いで畝傍御陵前駅。
駅名の御陵は初代神武天皇陵のことだそうな。

畝傍山が見えます。
奈良盆地にぽっかり突き出た元火山です。


古代を感じたくなったので博物館を訪問します。


膨大な展示物でしたが、謎に一歩踏み込んだ物はありませんでした。



近鉄で進んで吉野駅。
欧風の立派な屋根です。

こちらも神社風の駅舎。


すぐそばにロープウェイ駅。
その手前に発見!


緑色片岩。緑の崖です。
ここは三波川帯。

折り返します。
紀ノ川がほぼまっすぐ流れていきます。

中州も手前の岸も緑色片岩です。


大阿太駅。
この付近を中央構造線が通るはずです。


駅前の造成地は一つも売れていないのに好評分譲中だそうな(笑)。


トンネルを抜けると福神駅。
アップダウンが激しくて鉄道の難所ですね。

さらに吉野口駅でJRに乗り換え。


西に見える鉱山は赤土です。
ここは領家帯でしょう。

中央構造線はとおく伊勢神宮外宮へつながっています。でも三重は関西弁だから近畿圏なのですね。近鉄王国も共通です。
大和と伊勢は古代からつながっているのでしょう。さて天照大神は卑弥呼なのか?



中央構造線 向林露頭と第二東名高速  2014.01.04-05
正月休みの後半、愛知県内を探検しました。

飯田線 本長篠駅下車。
無人駅になっていました。

少し北へ進むと、豊橋鉄道 田口線の廃線跡に出ます。
現存する豊橋鉄道と同一会社とは知りませんでした。

廃線跡に沿って北へ進みます。


右に山と渓谷。
地すべりなのか、川が激しく蛇行しています。
この辺りを中央構造線が通るはずです。

内金トンネルは崩落した模様。
また鉄道遺産が失われていきます。
破砕帯だからしょうがないか。

西に進路を変えるとすぐに正福寺。
神社も併設しています。


いわくありげな不思議三叉路。



大きな道に出て振り返ったところ。
耕地の中を通っているはずです。

北を見ると地図にない神社が。
遠いのでパス。出発が遅かったのでもう夕方です。冬はつまらん。


鳳来中学校。
辺りは妙に空き地が多いです。


駐車場とか...。


また空き地。

○断層直上に多い土地利用(私見)
 1.宗教施設
 2.空き地(駐車場、廃屋)
 3.福祉施設
 4.リサイクル関係

空き地の先に断層露頭があります。


向林露頭と初対面。


大井川の岸に灰色の岩が見えますが、枯れ草で境界線は良くわかりません。


電位は平穏 +0.1kV


露頭のすぐそばも空き地。
さては愛知県条例があるのかと納得。
徳島や神奈川では断層のそばは事実上土地利用できないそうです。
ついに愛知も! いいことです。


露頭を離れて西に進むとまた不思議三叉路。
右の旧道?を進みます。


わき道がとんでもないクランク。
教習所かっ!?

そこを進んで振り返ったところ。
どうやら右の川が激しく蛇行しているためのようです。怪しい!


南の川岸をよく見ると緑の壁。
緑色片岩でしょう。


北の新興住宅街の奥に赤土の崖
よく見ると安康露頭のように怪しい境界線がいくつもある!
道がないので近づけません。ここは専門家が調査するべきでしょうが、この辺りは山林を切り開いて宅地造成中の模様。間もなく失われると思われます...。

推定断層から北へ進むと+0.4kV
やはり花崗岩質の領家帯のほうが反応が強いのか?


川岸に建つ小屋の下に岩石が。
片理(ミルフィーユ)はないので領家帯岩石の模様。


橋を渡ると小道があるので対岸を推定断層の方に進みます。


これは領家帯か?


川と同様に小道も激しく蛇行。


その先は緑の壁。


これは間違いなく緑色片岩


赤土の崖が見えます。


やはりここが断層直上でしょう。
地名から寺畑断層と呼ばれるかな。

中央構造線の活動で川が蛇行したとしたら間違いなく最近(数千年以内)動いたはずですね。

こちらは鳳来中部小学校。


その裏山は治山工事中。破砕帯ですからね。
奥に神社が見えます。神社の裏は赤土でした。


道が通れないので大きく迂回して、立派な富永神社に到着。手筒花火が有名だそうな。


西に怪しい鞍部。


日が暮れてきたので急ぎましょう。
国道を進みます。

この隘路は緑色片岩を切り通しています。


長篠城近くの大通寺を通過。


この用水路も激しく蛇行。
地図で(推定も含めた)露頭をたどっても断層がうまくつながりません。
活動が活発なら雁行配列なのかもしれませんね。
もっともこの辺は断層境界が面を成しているから、かなり幅があるのかも。


新城露頭入り口に到達。

馬場美濃守は退却する武田軍のシンガリを務めてから華々しく戦死したそうな。

鳥居駅でこの日の調査終了。


翌日、帰路にまた寄りました。
左へ進みます。

ひっそりと神社があります。


岩倉神社。
境内は三波川帯由来らしい灰色の砂が敷きつめられています。


本殿の裏に巨岩が。
注連縄があるので古代崇拝の名残でしょうか?


これは緑色片岩でしょう。

神社名どおり磐座(イワクラ)信仰の対象が中央構造線の代表岩石ですよ!
もう中央構造線神社と呼んでもいいでしょう。いや、だめかな (;^ω^)。

その裏山を中央構造線が通るはずです。


道なりに歩くと第二東名高速の工事現場に出ます。


橋の基礎工事で出た砂を利用しているのでしょうか?
灰色の砂は三波川帯に由来するのでしょう。


西の丘陵は赤土に見えます。


近づくと斜面の墓地の周りは、やっぱり赤土です。


丘に登って神社の方を見たところ。
このどこかを通ります。


第二東名はやたらと大規模です。
ビルのような規模の構造物がゴロゴロ出来ています。全4車線にしては過剰なのでは?


資料によるとこれは有海橋
ご覧のように陸橋です。
もちろん断層を越えるためでしょう。

この辺の地名には「海」が付くから、古代に湖があったのかもしれませんね。

遠くに豊川を渡る巨大な橋も見えます。
以前その奥の山から飯田線を撮影したことがありましたが、消滅したようですね。
ざらざら崩れる砂山でした。

飯田線だけが何事もないように昔のままですね。車両を除いて。
でも元々巨大なS字カーブを描いて中央構造線とクロスしています。土木関係者は昔から相当恐れてきたのでしょう。



1945年 三河地震の深溝断層  2014.01.05
終戦の年に起きた内陸型大地震の地を探検しました。

東海道線 三ヶ根駅下車。

駅前観光案内看板で天然記念物を確認。


なんといきなり駅前に神社と断層崖があります。断層探検のためにあるような駅!

南に断層崖が続いています。

神社の階段を登ります。
10m位の高低差。

御祖神社。
ぜひ神社マニア(私は違いますが)のために全神社は縁起を掲げて頂きたいものです。

電位は平穏 +0.1kV

少し南に進むと丘に出ます。
左奥に三河湾が見えます。

すぐ近くに小さな神社。


その奥の一段高いところに学校があります。

西には鉱山が見えます。何の鉱山でしょう?
その奥は駅名の由来であろう三ヶ根山があるようです。

学校の裏山はさらに高い丘陵です。
どうやら断層活動で御祖神社を最前線とした丘陵全体がせり上がっているようです。

旧校舎の下を断層が通っていたそうな。

ふこうず小学校といいます。もちろん断層名もふこうず
深い溝とは意味深な。

西に進みます。

墓地に怪しい段差があります。

その延長線上にも段差が。

さらに大規模な墓地。神社もあるようです。

丘陵のふもとを道なりに進みます。

大きな道に出ました。
でも交通量は僅少です。

この谷が深い溝なのでしょうか?

耕地の中の道に入ります。
ここが直上のはずです。

+0.6kV
少し上がりました。

大きな堤が出現。

断層の上にため池
それはまずいのでは?
のどかに釣りをしている人もいらっしゃいました。

天然記念物に到着。駐車場付き。

昭和20年1月13日未明、M7.1(6.8とも)の三河地震が発生しました。
死者2306名の大災害です。

見下ろすと杭が立っています。

左横ずれ逆断層です。

断層をはさんで向かい合った相手が、どっちに動いたかで横ずれ方向を判断します。

あまり直線的ではないようですね。

元の道に上ると+1.0kV
多少変動しているようです。

断層の延長線上はケルンコルでしょうか。


峠の南側には被害の大きかった逆川地区があります。下調べしていなかったのでパスしてしまいました。

道を引き返すと神社発見。

神社を二つ併設した円性寺。

その近くにトレンチ発見。
ちょっと浅い。

どんどん進んで市街地を横切り、三光院付近。断層崖が見えます。
でも火山でない限り、断層があるから山が出来ます。つまりこの足元も断層崖のはずですね。
日本中に断層崖があり、それぞれが数千年に一度活動するから起伏に富んだ景観が生まれるのですよ。

幸田町郷土資料館。
時間があったので訪問しました。

やっぱりあった深溝断層の展示。

この断層は変わっています。
御祖神社のところで90度折れ曲がっているのです。直線でない断層は初めて。

さらに鳥の目で見ると大きなクランクになっています。
いったいどんなメカニズムで動くのか?

天然記念物の地震直後の姿。
田んぼは放棄されたのですね。

当時の新聞を読みます。

発光現象の記事より
また発光現象地鳴りについても「浅発性地震」を立証する材料が非常に多く宮部教授、矢橋講師は「地鳴りは震動が急激な場合、しかも震源が近い場合に必ず起る現象で、今回の地震にはこれが非常に多く陸地型の条件に符合している。発光現象は地震史的に見てもあり得るもので震源が地表面に近い場合に発光することが多いといはれている、発光の原因が岩石の粉の摩擦によるものとか又は地電位の急激な変化で生ずるものかはっきりしないが、電気のない江戸時代の地震にも発光現象があったと記録に残っているから一概に高圧線のスパークだとはいへない、とにかく地表に近い地震にはこの現象が起こるものとみて差支えないと思ふ」....  セントエルモの火でしょう。見たかった。

「絶対に大地震なし」
そんな馬鹿な!と当時の人も思ったでしょうね。戦時統制下ですから本当のことは書けません。これはジャーナリストのせめてもの抵抗と見るべきでしょう。中高と新聞委員会でしたから反体制的な臭いを感じます。検閲官が目を白黒させる様が見えるようですね。


1927年 北丹後地震の郷村断層  2014.01.12
果敢にも冬の日本海側を探検しました。
北近畿タンゴ鉄道 網野駅下車。
すぐ隣に神社あり。

ここはほぼ直上です。
なんと停車中の列車が横転しました。
走行中なら大事故ですが、当時は終点だったようで幸いです。


地元教育委員会のパンフレットより

晴れの予報を狙って訪れましたが駄目です。ずっと雨が降ったりやんだり。

右端が駅。
左の丘陵部に断層が続きます。

丘陵部のふもとの集落に入ると少し反応。
+0.4kV
冬とはいえ、雨なのにたいしたものです。


その先に神社風の周泉寺。
地図によるとその奥に二宮神社があるようです。

丘陵に沿って墓地が並んでいます。

少し先に断層露頭入り口。

郷村断層 (樋口地区)です。

北丹後地震 (M7.3)
おもに火災のために死者2925人。

駐車場完備の立派な施設です。


でも肝心の露頭は施錠されていました。

ガラス窓の中をのぞくと内側に水滴が付いています。湿気でカビかコケが繁茂。
もうちょっと換気した方がいいのでは?

断層は川を横切ります。
よく見ると一箇所、になっています。

郷村断層 (小池地区) 入り口。

横ずれ2.60m。保存することにした当時の方は偉い。

2011年 福島県浜通り地震(M7.0)で道路に現れた露頭は、すぐに整地されてしまいました。

隣の直上は廃屋らしき建物群。

その延長上にはぐにゃぐにゃの川と段差。

山道に入ります。
右側は廃車置場でした。

坂の上は耕地が広がっています。

この丘陵を横切るはずです。

ふもとは+0.2kV

法面はしっかり補強してあります。

電位反転、-0.7kV

峠に達するとまだまだ道は続いています。


引き返して坂を下るとやっぱり+0.2kV

立派な道路ですが車も人も全く通りません。
神隠し感満点です。ちょっと怖い。

断層になるべく沿って山道を進むと急に開けました。

左を見ると崖の下に池があります。

まさかわずかな茶畑のために造成したわけではないでしょうが....。

メインのこの道をそれて右へ進みます。

このフェンスを立ててどうするのでしょう?
ますます不思議な空間です。

久しぶりに集落に下りました。

+0.8kV。雨に濡れながら、なかなか。

急に道が狭くなります。

右に大慈寺。

400m先に建物出現。
郷村断層 (生野内地区)です。

観察路は川になっています(泣)。

濡れた枯れ草でなかなかの難所です。

こちらは開きました。
恐る恐る入ります。(怖い!)

こちらも横ずれの方が大きな逆断層。

後ろは湿地帯。
段差はありません。建物で保存しないと、わずか数十年で消えてしまうのか?


道を引き返しながら断層の延長をたどると、どうやらこの谷のようです。

こちらは無関係の生王部神社
典型的な鳥居の位置です。

なぜ神社は崖の上にあるのか?
もちろん断層があるからでしょう。既知の断層の有無は無意味に思えてきました。大災害をもたらした断層もわずか数十年で自然に消えてしまいました。いっぽう直線状の崖や山はいたる所に見られます。
日本中縦横無尽に断層だらけと思ったほうがいいのでしょう。

翌日帰りの小浜線からチラッと若狭湾が見えました。
郷村断層も敦賀湾-伊勢湾構造線の一部なのかもしれません。
なぜこの地域が急速に沈降しているのか?その答えはプルームテクトニクスに鍵がありそうです。

山はどうしてできるのか」 藤岡換太郎博士著

断層、プレートテクトニクス、プルームテクトニクスを通して身近な地形が見えてきます。
雨量計で天気予報は出来ない。地震計で地震予知も出来ない。名言です。



九州の中央構造線  2014.02.09-10
以前、大分でいったん打ち切った「中央構造線をたどる旅」の続編です。

今回は熊本駅をスタート。
大分をめざします。

市電で熊本城・市役所駅下車。
ここは中央構造線とは無関係(のはず)ですが、石垣の延長線上に丘陵が続いています。ここにも未知の断層があるのでしょう。


熊本城は石垣を見よ。
エンジニア魂を感じる見事なエッジです。


こちらは鉄筋コンクリートの展望台。
階段をのぼります。

西を望むとカルデラ火山の金峰山。
熊本地震(1889年 M6.3)の震源地です。
カルデラ火山は破局噴火と呼ばれる大規模噴火を起こします。

東はご存知阿蘇山
過去4回も破局噴火を起こした凶悪火山です。今も湯気が立っています。

この日は活動が活発で、火口には近づけません。

目当ての熊本博物館は長期休館中でした。しまった!


仕方がないので豊肥線で前に進みます。
立野駅で長時間停車。

ここはカルデラ湖の水があふれ出した場所でしょう。たまたま外輪山が低かったのか?あるいは大規模断層があるのか?
それは、もしかしたら中央構造線かもしれません。(大分佐賀関より西はよくわかっていません。)

宮地駅下車。


駅舎内に豊肥本線災害復旧資料館があります。


2012年7月、外輪山を登る路盤があちこち崩壊したそうです。


いったいどうしたらこうなるのか?
不思議な光景です。


ここは阿蘇ジオパーク
カルデラの中に都市(阿蘇市)がある珍しい場所です。他は箱根カルデラの第3新東京市くらいか?

駅の近くに古神社


電位は+0.9kV。


阿蘇神社大宮司の阿蘇氏の墓地があります。みんな前大宮司○○と書いてあって、これでは新旧がわかりません。

ここは阿蘇神社の前線基地とも言えますね。

天気がいまいち。
よく見える山は根子岳だけです。


東に進むとしだいに電位低下。
+0.2kV。


豊肥線の大カーブに到達。


徐々に高度を上げながら左奥の外輪山へ突入します。


時刻表を見ると30分後に通過列車があります。ここで撮り鉄するか迷いましたが、先へ進みます。


撮影場所がみつからず右往左往します。
森の中で、いつの間にか電位消失。

列車は線路にたどりつく10分前に通過してしまいました。残念。


これは外輪山というよりも、火山そのものの雰囲気です。
調べてみると妻子ヶ鼻という山でした。

外輪山には国道57号も通っています。地図を見るとグニャグニャの峠道です。
この晩ニュースを見ていたら、ちょうどこの日、災害復旧工事が終わったそうな。

市街地に戻り、肥後一宮阿蘇神社訪問。
神社なのに重文の山門があります。

この神社は変わった配置です。参道が神社と直角で鳥居は両側にあります。
何かを邪魔しないように建てられた雰囲気。


拝殿と直角の方向に最高峰高岳が見えます。


どうやら阿蘇神社よりも古い国造神社が数キロ北にあり、そちらがもともと阿蘇山の鎮めだった模様。

では阿蘇神社は何の鎮めなのか?
拝殿が向いている方角に中央構造線があるのですが。

翌朝、豊肥線で進みます。
昨日探検したあたりでグングン高度を稼ぎます。

これが災害復旧工事の跡でしょう。
雨でレールが滑るのか、列車は止まりそうな程の低速です。


ちらっとカルデラが見渡せました。


外輪山の上は雪でした。


豊後竹田駅で乗り換え。
北側は崖で滝が流れています。
地図を見ると、その上には豊川稲荷があるようです。


大分の一つ手前の滝尾駅で下車。
大分まで歩こうと思っていましたが、雨が強いので諦めます。

代わりにすぐ南の山に登ってみます。


ここは神社のようです。


石の造形物があちこちにあります。


石窟寺院のようです。


どうやら山全体が岩のようです。


頂上から大分市街が見渡せます。
中央構造線はどこを通っているのか?

西は久大本線の湯布院方面。


立派な熊野神社。
もともとは古代の磐座信仰なのでしょう。


南を見たところ。
九州は阿蘇山をはじめ、多くの火山の破局噴火で火砕流に覆われています。中央構造線を感じることはできませんでした。

でも佐多岬の延長上に阿蘇山はあります。阿蘇山の噴火メカニズムに中央構造線はどう関わっているのか?興味深いですね。



つづく