中央構造線の謎
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断層探検14

仏像構造線探検  2016.9.17-18
仏像構造線の東端を探してみました。

引退が迫るスーパーあずさで旅立ちます。

出張では御法度のグリーン車。しかも王様席を確保。
でも乗り心地は普通車と変わりないような・・・。

ここは富士見の仏像構造線断層谷
前方の八ヶ岳地下をぐるっと回って、関東へ続いています。


さくっと東京到達。
日野の先で多摩川を越えます。
仏像構造線は多摩川に沿っているはずです。


立川でモノレールに乗り換え。
考えてみたら初乗車です。
学生の頃はなかったなぁ。


駅から南が見えます。
約1キロ先に多摩川があります。


再び多摩川を越えます。
さっき渡ったJRの鉄橋もすぐ先です。


ほぼ90°の大カーブを通過。
乗るなら最前列展望席?がおすすめ。限定4席。


京王線に乗り換え、聖蹟桜ヶ丘駅下車。


徒歩10分ほどで到着。
武蔵国一ノ宮、小野神社
謎の西向き。またか!

手水は珍しい樹脂カバー付き。
開けると虫だらけでした・・・。


絵馬は少なめ・・・。

参拝者も少ないですね。


少々不安ですが、確かに一之宮
拝んで残しましょう・・・。

セオリー通りならこの先の西か、反対側の東にアレがあるはずです。
でも多摩川は北。
謎ですな・・・。


後で調べたら、300m西に立川断層の南端があるのでした。
人が住み始めて以降に活動した証拠でしょう。
仏像構造線と立川断層の交差点に一ノ宮を築いた古代人は、ただ者ではありません。


都市圏活断層図

日暮里に移動して京成線に乗ります。


佐倉駅でおりてバスで移動。
古代のなぞ解きを求めて国立歴史民俗博物館訪問。

バスで来て正解。
博物館はとんでもない山の上でした。


ふもとからよく見える大看板。


中を進むと、なぜか平安時代の第2展示室です。


第1展示室はリニューアル工事で閉館中ですと。
 しくしく (ノД`)


気を取り直して進みましょう。

延喜式とは、古代の行政マニュアルのようなものです。


神社の一覧も載っています。
下総国の筆頭はもちろん香取神宮


唐突に鳥居強右衛門登場。
びっくらこいた!




中央構造線の上で、真実を叫びながら処刑されたサムライです。


ここは国立妖怪ゾーン


古代人も現代人も怪しげな世界が大好きなのでしょう。
現代科学だって謎だらけです。


国費でリアル河童模型を製作するおおらかさに乾杯。


柳田國男と考古学の展示。




遠野物語が有名ですが、飯田でも発掘したようですね。
現場主義の民俗学者です。


日本人の起源は昔から議論されてきたようです。
台の上にあるのは北海道函館の土偶(レプリカ)。
本州と同じように見えます。

アイヌが縄文人の直系で、ヤマトは渡来人との混血。
やはり、これが答えでしょう。


青森の御幣。
大きいですが、アイヌのイナウそのものです。


閉館時間になったので、バスを待っていると立ちくらみに襲われました。
これはヤバい、疲れがたまってるのか!?
と思ったら、実は地震でした。

銚子沖でM5.0。
銚子沖も地震の巣ですね。恐ろしや。


初日は外房線茂原駅前に投宿。
翌朝、南に丘陵が見えます。


二駅先の上総一ノ宮駅下車。


道なりに進むと道標あり。
なかなか味のある書体。

すぐに到着。
上総国一ノ宮、玉前神社
たまさき、と読みます。

多摩の先?と妄想するのは考えすぎですね(笑)。

これは二の鳥居。
社殿は90°曲がった右にあります。


二の鳥居の脇に湧水あり。
ここも断層崖か?
竹の鳥居は斬新です。ありそうで、ない。

社殿は改修中。
ここも参拝者は少なめ。


周囲から一段高い丸い小山の上にあります。断層ではないですね。
もしかしたら古墳を利用したのかも。


駅に戻ると、南に丘陵が迫っています。
左に続くその先は断崖絶壁の太東岬
自作の地図では仏像構造線の東端です。適当な地図ですが、なかなか感慨深いですな。

丘陵を越えて隣の太東駅から北を望む。
この丘陵が左横ずれで太平洋に落ちて行くのでしょうか?親不知のように・・・。

さらに進んでみましょう。
海に出ました。


安房小湊駅下車。
背後に丘陵が見えます。
ここは別の谷、鴨川低地断層帯の東端近く。

ちなみに小湊鐵道はここを目指して建設されました。


駅前は太平洋。
この断層は西の三浦半島へ続いています。そして大正関東地震などの震源域です。
相模トラフ巨大地震によって形成された地震断層なのでしょう。



大原駅に引き返していすみ鉄道に乗ります。


時刻表をよく確かめずに乗ったので、途中の大多喜駅で降ろされてしまいました。


最近、イベント列車で盛り上がっている路線のひとつです。

おお、これは懐かしい国鉄色キハ58

反対側は大糸線から転属したキハ52。これも久しぶりに見ました。


上総中野駅で小湊鐵道に乗り換え。



車掌から古風な切符を買います。
なぜか他の客は、すでに切符を持っているようです。

馬立駅下車。
自作の適当な地図に従ってみます。


不思議というか、不気味というか、謎のラーメン屋発見。
混沌としてきましたよ!


この辺りが直上、と思っていたらお犬様登場。
薄暗くなってきていたので、たまげました。
キツネなら稲荷神社があるのかも・・・。

大宮神社。
稲荷ではありません。

街道沿いの大六天神社。
とくに不審な点はありません。

線路に戻ります。
線路の周囲は水田地帯でした。


となりの光風台駅到着。
検索すると、この地域はなかなかの神社密度です。

さて仏像構造線はどこやら。
文献も見当たらないので、千葉は謎のままにすることにしましょう。



神戸と野島断層  2016.10.08-10
1995年兵庫県南部地震M7.3の地を探検しました。

JR元町駅下車。
あれから21年もたちましたか・・・。


海に向かいます。
ここは南京町。大賑わいです。
あたりは新しいビルばかり。


神戸港震災メモリアルパーク、到着。
じつは、他の遺構はほとんど残っていません。看板程度です。


神戸港120kmのうち、116kmが被災したそうな。
ここはもともと保存されていた旧跡、メリケン波止場のようです。

すぐに暗くなってきました。

あの朝、大学生の私はテレビをつけて腰を抜かしました。
ひっくり返った高速道路、長田区の大火災、つぶれたビル、ぼうぜんとする住民・・・。
はじめて目の当たりにする大震災でした。


六甲山にイカリのイルミネーション。
神戸港は見事に復活しました。


駅に向かう途中で寄り道。三宮神社
地名の由来でしょうけれど、摂津国三ノ宮ではなく、生田神社を取り巻く八宮の一つだそうな。


震災後に建て直したのかどうか、暗くてよくわかりません。
市内はほとんど震度7だったはずです。

この日は明石に宿泊。


二日目
明石駅前から徒歩5分。
フェリー乗り場です。



今や唯一の淡路島航路です。


明石海峡大橋が見えてきました。

なぜ鉄道を通さなかったのかしら?
ああ、淡路島には接続する鉄道がないや。


たった十数分で到着。
淡路島、初上陸です。


バスで移動します。
その名も、あわ神あわ姫バス
ちょっと待て、その名は・・・、まずかろう。
誰も指摘しなかったのかしら?


これがあわ姫かしら???
しかも当然のように全裸・・・。
足は閉じなさい!

さあ、混沌としてきましたよ!


気を取り直して、北に明石海峡大橋。
壮大です。震災後の1998年開通。


北東に遠く神戸の市街。
そして、この間の海底が震源地とされています。


少し時間があるので散策します。
恵比須神社。


このあたりの地名は岩屋
磐座信仰があったのでしょうか?


大きな石屋神社
たぶんイワヤと読むのでしょう。


扁額は天地大明神
どういう神様なのかしら?

拝殿の向く方向は、まさに震源地と神戸。



かわいい、あわ神バスに乗ります。
お客は二人で出発。途中で数人乗り降りしました。


海岸沿いを南下。
道の駅や大きな工場が見えました。
大橋のおかげで淡路島は激変したのでしょうね。


突然、道を折れ、山道に入ります。
島中央の山地を越えて西海岸に向かいます。


たっぷり一時間以上乗って目的地到着。


北淡震災記念公園内の博物館群。


西海岸沿いの丘陵は野島断層の断層崖です。南北に続いています。


博物館に入ります。
連休なのでなかなかの盛況。

これは私も腰を抜かした高速道路の倒壊ですな。ゾッとします。


導入路は熊本地震の展示です。
熊本もそろそろ訪れてみたいですね。



この程度の断層はあっという間に消えてしまうものです。どこか保存してくれるでしょうか?


ここから阪神大震災の写真パネルです。



倒壊した神戸の生田神社
中心部、三宮駅のすぐそばです。


これが震災の帯
諸説ありますが、地震断層に沿っているのでしょう。

野島断層の保存ゾーン。
140mも保存してくれました。すばらしい。


当時そのままの道路や用水路です。
野島断層の変位は長さ10km、
最大縦1.2m、横ずれ2m。
でも神戸には断層が現れませんでした。

当時の写真も見られます。
ここは造成地のようで、山林を削って平らにしたようです。


おやホコラではないですか!?


あわてて引き返すと、外に祠が見えます。
 ______なんてことだ・・・・・、絶句。

先に進みましょう。
トレンチも拝めます。


おお、くっきりはっきり逆断層
じつは変位量はたいしたことありません。
濃尾地震は6mですから。
神戸が大都会だから「大震災」となったのです。

もちろん反対側もくっきりはっきり。
床もガラスでスケスケ。

外に出ます。
これは神戸の壁
神戸で遺構は持て余しのようです。

すぐ近くに北淡路病院出現。
なぜここに建てたの?

住宅の塀は当時そのままにずれています。


ここは、メモリアルハウス
もとは一般住宅です。
驚くことに、外観に損傷がありません。

当時の様子を再現。
震度7の直上ですからメチャクチャだったでしょう。
しかし住民は4年も住み続けたそうな。
住むなら2階建て以下の鉄筋コンクリに限りますな。丈夫な家です。そして行政に見事お買い上げ? ラッキーです。

断層からの距離と建物被害のパネル。
もちろん近い方が被害は大。

「海外には・・・断層上とその近くの土地利用を規制する活断層法を制定した国もあります」 (日本でもあります。)

なのになぜ、そこに病院を建てたの?


このお宅は断層からギリギリ外れていたのですね。
真上だったら、いくらなんでも破損したでしょう。


震災体験館
地震嫌いですが、ここまで来たらやってみますか。


他にお客がいないので独占です。


緊急地震速報の警報音に血圧が上がります。
少々手加減しているようで、震度6弱くらいの揺れですが、じゅうぶん青くなりました。


ミュージアムショップはいまいち。
ここが収益の肝ですぞ!


外に出ると足早に祠に向かいます。
祠ではなく立派に神社ですね。

ゴールだと思ったらスタートに戻っていたような・・・。孫悟空の気分です。
自分がはじめて認識した大震災の現場に、はじめから答えがあったのでした。


低いですが、数メートル先に断層崖。
ここはまぎれもなく、典型的な崖の上の神社です。

反対を見れば別の崖と、さらに奥は丘陵。
平行に何本も断層が走っているのでしょう。


その崖を観察してみると、保存の断層より高いです。(造成地を平らに削った跡なのかもしれませんが。)


造成地ですが神社は昔からここにあったのでしょう。
何千年か前にも震度7があったに違いありません。古代人の祈りと警告を現代人は気にもしていませんね。神社は保存対象外です。でもきっと、しぶとく存続するでしょう。それが古代人の偉大な知恵ですから。


おっとあわ姫バス出現。どうやら西回りと東回りで名称を区別しているようです。



セミナーハウスのパネルを見学。
やはり神社は当時からありました。


断層の延長は、・・・・・風車
だから、なぜそこに建てた?

行政に任せておくと日本は滅びますな。
他県ですが、豊洲市場やら東京五輪やら・・・。
公務員も責任を負う国になってほしいものです。

あわ神バスで港に戻ります。
岬を周ると大橋が見えてきました。

巨大なケーソン。圧巻です。
震災でズレたようですが、落橋は免れました。


帰りは高速艇です。



震度7に耐えたテクノロジーは偉大です。
ただし震災の帯を見ると、野島断層の途中から東に破壊が進んだように見えます。
野島断層がすべて活動したら、大橋は直上だったかもしれません。


午後は震災の帯を検証してみましょう。

山陽電鉄で高速長田駅下車。
長田区といえば焼け野原のイメージがあります。


駅前の交差点に道標あり。


大鳥居をくぐって、北へ進みます。
ところどころに、クイッと微妙な勾配があります。
ここも平行に何本も断層があるのでしょう。



長田神社、到着。
この辺りでは廣田、生田、長田の三社が名社だそうな。
参拝客は少なめ。
ここも震災の帯のただ中。




つぎは地下鉄で三宮駅。
出口からもう見えています。


生田神社。
倒壊した社殿は再建されました。
参拝客でごったがえし。

奥に深い社叢があります。
生田の森というそうな。

ここももちろん震災の帯


阪急神戸三宮駅のホーム。
ここは市の中心。鉄道高架やビル群は大きな被害を受けたはずです。
もはや痕跡はまったくわかりません。


苦楽園口駅下車。
今度の神社は駅から離れています。

神戸は御影石(花崗岩)でも有名です。
ということは宏観異常現象が起きたのは当然ですね。発光やラジオのノイズがありました。


道を進むと、突然の右カーブと下り坂。


のけぞるような急坂です。
やっぱり断層でしょうね。


ようやく参道に出ました。


夕暮れ前に到着。


これも鳥居かしら?
二本の柱としめ縄なら古来の姿でしょう。


二十二社のひとつ、廣田神社
六甲山の鎮めの神社です。

西宮市のここも、やっぱり震災の帯ですが、倒壊は免れました。


西に湧水あり。
断層崖でしょうか?


さっきの急坂から続く断層崖のようです。


低い市街地が見渡せます。
社叢は広田山公園として開放されています。

三つの名社はすべて震災の帯にありました。さらに帯は京都方面に伸びています。
この断層帯は新潟-神戸歪集中帯と呼ばれる準構造線のようです。


おまけの三日目
近江国一ノ宮、建部大社

琵琶湖の南端、唐橋を渡ります。

急に涼しくなってきました。
空は秋の雲です。


1kmほどで到着。


拝殿に参拝しようとしたら、妙に奥行きがあります。


なんと本殿に直接お参りできます。
珍しいスタイルの神社ですね。

本殿は二つあります。
ここも式年遷宮が廃止された姿なのでしょう。

ここは断層とは無関係のようです。
古代首都の鎮守の杜なのでしょう。




尾張国一ノ宮、真清田神社

JR尾張一宮駅下車、徒歩15分。

神様専用のたいこ橋。
神橋わたるべからず

壮大な社殿です。


ここも断層とは無関係なのかしら?
駅の反対側にも一ノ宮を主張する大神神社があります。
ちなみに、この辺の東海道本線は岐阜-一宮断層の直上。


神秘の諏訪湖  2016.10.29
神話の里、諏訪湖畔を探検しました。

岡谷駅下車。
行き当たりばったりなので、じつは、もう夕方です。


中央道から分岐した長野自動車道の大橋梁。
メンテを考慮していないから、補修が厄介です。まさか、足場が何にもないとは・・・。


その脇に異界への入り口があります。


長い階段を登って到着。
成田山蓮華不動院。神社のようなお寺です。


やっぱり断層崖でしょうか?
あるいは古代諏訪湖が決壊したときに削られたのか?


高速道路はまだまだ、はるか頭上です。


右に神社あり。
階段はまだ続きます。


頂上にお堂あり。
ここは前にも通りました。(断層探検6 参照)


釜口水門と花岡公園の小山が見えます。
私説では、糸静線が丘陵を引き裂いた現場です。
古代諏訪湖の大決壊を想像すると呆然とします。
でも、その程度の天変地異はまだまだ序の口ですね。


せっかく登ったのに、道がないのですぐに伊那側に下ります。

なるべく崖に沿って進みます。
何かのお祭りがあるのかしら?
諏訪の人はボンボンが好きですね。
アイヌならイナウと呼ぶものです。
オカルト的には静電気探知機かもしれませんが・・・(^O^)


前も気づきましたが、やっぱり崖に沿って神社や祠が並んでいます。


ここは古代幹線道路・東山道の深沢駅(みさわ)があったようです。伊那で三沢という苗字は多いですね。


大きな熊野神社。


狛犬が正面を向いているのは珍しいですね。
そう、正面に意味があるのです。


石碑にも御柱が当たり前。
このように当地では、巨木から小枝まで、無数の御柱が林立しています。



この先に何かがあります。
この神社もそれと無関係ではないでしょう。


その正面の国道沿いに小さな藤島神社
移転で小さくなったようですが、この辺がイズモの陣地だったのでしょう。

天竜川を渡ります。


頭上は中央本線です。


中央本線を陸橋で渡ります。
ここは鉄道写真の名所です。

改めてよく見ると、高速道路はなんて壮大でしょう。高さ50m!1986年部分開通。

すぐ近くに重要な神社があります。


その名も洩矢神社
縄文人と推定されるモレヤ(モリヤ)氏に由来します。

わきの看板に書かれた縁起はたいへん興味深いです。
元ネタは諏訪大明神画詞だそうな。

中規模の社殿です。
もちろん御柱付き。
どうやら御柱は、もともと縄文人の行事のようです。


背後は中央道が通る崖。
これも断層崖かしら?
でも、たぶん今回は断層と無関係。
ここにはモレヤ氏の陣地があったようです。


6/26放送、NHKスペシャル
古代史ミステリー「御柱」~最後の“縄文王国”の謎~

ここは、イズモモレヤ氏 が対峙した戦場です。勝ったイズモは諏訪を統治し、モレヤ氏を幹部に登用しました。
うーん、おもしろい。(=゚ω゚)ノ

高速道路に中央本線に天竜川。
ここは古代から要衝の隘路だったのでしょう。
モレヤ氏の子孫は神長官となり、今も子孫がミシャグジを祀る神社とともに存続しています。

この夜、大人気アニメ映画を鑑賞。
舞台の湖は諏訪湖に似ています。

時空を超えた縁がテーマ。神秘とSFが融合した名作です。神社も重要な鍵となっています。
不覚にもオジサン、大泣き(´;ω;`)ウゥゥ

私も、文字のない時代の古代人が、未来に伝えたかった「何か」を追い求めていきますよ!



映画「君の名は。」
無断転載失礼。



神秘の諏訪湖 その2  2016.12.24
諏訪湖南岸を初探検です。
午前10時前。岡谷駅下車。
最近、リニューアルしました。

今日は糸静線(青線)に沿って、諏訪湖南岸をたどります。
もちろん神社(黄色い星印)だらけ。かたっぱしから訪問することにしましょう。



最初の神社。
下浜 御社宮司神社



なかなかうまいミシャグジの当て字です。もちろん文字のない縄文時代からつづく土地の神の名。
アイヌ語から調べてみた人はいないのかしら?


りっぱな御柱付き。


社殿の脇に、濱むら御社宮司神社本宮の祠。
この辺のミシャグジの元締め、ということでしょうか?


社殿正面はすぐ諏訪湖。


寒いですが、いい天気です。


右手に釜口水門。


もうすぐ御神渡りのシーズンです。


諏訪湖から流れ出す、唯一の天竜川


今日はこのラインを攻めます。
目標は茅野駅。13km先。

水門に博物館発見。


「水の資料室」。


なかなか見ない形の水分子模型。
水素と酸素のファンデルワールス半径は大差ありませんが、これは正確なのかしら?

水は非対称な構造なので、もともと電気的に偏りがあります。(エレクトレット、といいます。) このため、いろいろと面白い(謎めいた)性質があります。なんでも溶かすとか、海底震源の上にプラズマが・・・・、とか。


諏訪湖底に古い遺跡があるそうな。
諏訪湖は今より大きかったのに、湖底に遺跡がある。
いったいどんな天変地異があったのかしら?ゾゾッ!


先代の釜口水門。
さらに、その前はどうしていたのかしら? 諏訪湖も天竜川も大暴れ?


外に出ると案内看板あり。
諏訪湖南岸には西街道があるそうな。



これが現代の街道。
左は花岡公園の山。

南に進むと、どうやら西街道。
石碑や石仏が旧街道の目印でしょう。


さらに南へ勾配を進みます。


日吉神社


ここは前にも来ました。


断層崖の上なのでしょう。


他地域の人が見たら正気の沙汰でないとフィーバー状態
もはや氏子も御柱の意味はわかっていませんが。



魔王天白飯縄神社
どんどん進みます。


鉾持神社


境内に鳥居の旧礎石。
伊那産だそうな。花崗岩かしら?


どうやら冬に車がゴツンとやったよう。
なるほど、片側が道にはみ出ています。


その道はのけぞるような狭い急坂。
冬は車で下りたくないですな。


中央高速道路(中央道)に到達。


さらに進むと、どんどん標高が上がります。


なんとトビと同じ高さに到達。


覚悟はしていましたが、足への負担がハンパありません。
でも、ご褒美のビュー。


次の神社は崖の下。とほほ。


白波神社


久保寺も崖の上。


地図にない保食神


こちらも地図にない神社。
扁額を見ると〇△□大明神
読めない!

妙に開けたところに舩魂神社


真新しい社殿です。


じつは2006年の水害で、この辺一帯壊滅したそうな。


この川が犯人の模様。


社殿は一瞬にして流されたそうな。
木曽なら蛇抜けと呼ばれる、鉄砲水ですな。

妙にこの辺りは神社が多いと思ったら、鉄砲水の鎮めなのかもしれません。

崖に沿って進みます。


案内看板あり。
(神代に)諏訪湖は現在の5~6倍の広さがあり━━━

どうやら古代諏訪湖の巨大さは、当地では当たり前の説のようです。

小坂 御頭御社宮司神社
ここは古墳の上。


御頭はシカの頭を捧げる儀式を指すはずですが、ミシャグジと合体しています。
ミシャグジとは、いったい何を指すのか?諏訪湖?地震?八ヶ岳噴火?
文字のない時代なので、謎は永遠に解けないかもしれませんが、気になる気になる。


集落の上に地図にない神社。
でも参道がありません。


おおきく迂回して到着。
御柱はあるものの、名称不明。


なかなかの高台です。



小坂鎮守神社


すぐ近くにさらに鳥居。


若宮神社


なんとこの集落には、少なくとも神社が三つもあります。
ここも鉄砲水があったのかしら?

神社が鉄砲水を防ぐとは思えないような気もしますが・・・。まあ、地震もか。

古代の道標あり。



右神宮寺道、
左さくばみち

作場道は農作業道のことだそうな。

神宮寺道をすすむと、巨大な諏訪湖サービスエリア。


ようやく諏訪湖南端に到達。


石段がとても不安な、地図にない神社。



天白小泉神社
稲荷のようです。



大きな社叢。


千鹿頭神社


大社並みの巨大な御柱。
鹿の頭には大いに意味があるようですね。



町屋 御社宮司神社
児童公園の中。


不聞神社、かな?



胡桃沢神社
石棒を祀っているとのこと。


蓼宮神社



近くの御社宮司神社


崖に沿って進みます。
八ヶ岳が見えてきました。
茅野駅は、はるか先。

古代には見渡す限り諏訪湖だったのでしょう。


西街道は石碑が続きます。


GPSを確認すると、標高は800m以上。
古代諏訪湖のほとりに街道は作られたのでしょう。


次の神社を目指すと、自然に急こう配を登ります。ほとんど登山。ヒー!
なんと展望台まであります。

諏訪市が一望。12月なのに汗だく。


中央道は糸静線に沿っています。
もし活動したら壊滅は確実。


看板はありますが社殿が見えません。


もしかして、この祠?
御頭御社宮司神社

なぜここをGoogleは神社としたのかはともかく、ビューを堪能できました。(怒)


下山の途中に御頭御社宮司神社
私有地の中のようで近づけません。


これは古式の鳥居かしら?神門?


習焼神社



北方 御社宮司神社


ここも川のほとりです。



こちらも川の側にあります。


南方 御社宮司神社


案内看板によると中央道のために移転したとのこと。
元は右の断層崖にあったのか?

暗くなる中、大鳥居に到達。


西から入ります。
東西北から入れるのは小野神社と似ています。

諏訪大社 本宮
今年の新しい御柱が立っています。
もちろん、ここも断層崖の下。

この神社の構造はちょっとした迷路。
社殿は西向き。本殿なし。いろいろ謎ですな。


御柱祭りは無事終わりました。
けが人はともかく、死者はゼロ。


足も、日の入り時刻も限界です。
諏訪市博物館前にバス停発見。
10分後のバスに乗れました。
スマホのない時代だったら、どうしたことやら。情報どころか文字もない古代人の生活は、現代人には想像もできません。

上諏訪駅到着。


デパートが取り壊されて、断層崖が丸見えになりました。すごい所に家がありますね。

神社は断層崖の他に、鉄砲水災害とも関係がありそうです。
足がズキズキしますが、それなりに収穫がありました。




小黒川断層の北方延長  2017.01.22
灯台下暗しを戒めるために、地元を再探検。
近所のことを知らないのはモッタイナイことですよ。

塩ノ井からスタート。
湧水に由来する地名でしょう。

ここは旧街道のようです。
「左 伊勢」の道標。

私は右の道をのぼります。


この急崖はもちろん断層崖でしょう。
飯田なら念通寺断層と呼ばれています。

西に折れて、さらに坂は続きます。
道はぐにゃぐにゃ。

右に西光寺。


左に公式な断層崖と神社。
久しぶりの再訪です。

塩ノ井神社


社殿の裏は危険なほどの急カーブ。
冬は車で通りたくないですね。

崖上は広大な耕作地。

冬は基本晴れですが、冬型が強いと木曽から雪雲が侵入してきて、こんな感じです。

しばらく北上してから崖を下りました。

ここまでは公式な断層崖
はたして断層崖は途切れているのかしら?

久保神社
地図ではなぜか大神宮

豪雪地帯の住居のような屋根です。

なるほど、扁額は大神宮。

本殿はありません。
看板によると元はお寺のようです。

さらに崖上の道をすすんでから、右に折れると坂道あり。

坂の途中に祭祀場のような森。
元は神社でしょうか?



坂道は国道まで続きます。

この日はここまで。



1月28日、木ノ下駅から再開。

すぐ駅前に、大木の立ち並ぶ箕輪南宮神社
坂道の末端です。



西に進むと坂が始まります。

崖上に高校。

不思議なことに、谷なのに川がありません。
各地で見かけますが、いったいナゼなのかしら?

崖上はやっぱり広大な耕作地。
伊那市付近は、南北だけでなく東西にも開いています。
そういえば伊那平野という言葉を聞いたことがあります。
ふだん、その広大さに気づいていませんでした。

これは建設中のドコモの塔。
なんとも異様です。景観が・・・。

ここまで、まっすぐな道を進んできました。
東山道という古代街道なのかもしれません。(追記:もう少し西のようです。)

右に折れると箕輪町の公共施設群集中地帯。

消防署の前に急カーブ。

のけぞる急坂。
登りの車の苦しそうなエンジン音が騒々しいです。

左に箕輪町役場。
崖の突端ですね。

右に箕輪町郷土博物館。
おとな100円。
岩石や土器などを拝みました。
写真撮影は許可が要るようなので断念。

階段を登っていると、窓からアレが見えました。

博物館前には飯田線で活躍したED19電気機関車が鎮座。

博物館の南の坂を下ります。

博物館の階段から見えたものを確認します。

地図にない市川神社
なぜか拝殿が、神楽殿のようにガランドウです。賽銭箱もなし。

石碑によると、元は近くの中学校の場所にあったようです。


境内立ち入り禁止とは穏やかではありません。

神社前に謎の神明造。高床式倉庫?


いろいろ怪しい雰囲気です。

崖下から西を望む。
やはり小黒川断層の延長でしょう。

ちかくに大きな神社あり。

松島神社

奥の推定断層崖はさらに北へ続きます。

日没サスペンディッド。
ここは箕輪町の市街。




2/19、探検再開。
伊那松島駅をスタート。

駅前は、いきなり登り坂です。

国道に出ました。
辺りは民宿が多いです。
国道は三州街道をほぼ踏襲しているようです。

松島神社を再訪。

今日も推定断層崖をたどります。


崖のふもとに到達。


道があるので崖下を北へ進みます。

擁壁は断層崖のサイン。

崖を背に寺院あり。

明音寺。
こんな大きな寺があるとは知りませんでした。

道が途絶えたので崖を登ります。

崖上は墓や工場。

工場の崖下に森があります。


案内看板発見。


森へ入ります。


上伊那唯一の前方後円墳あり。
松島王墓古墳。全長60m。


古墳の脇に社あり。
扁額によれば秋葉大権現
秋葉系は火事の鎮めですね。
縁起によると明治・大正のころに火事が頻発したそうな。

地図によれば、ここは深沢公園

ここは崖の突端。
道がないので引き返します。


国道の追分交差点。


右すはみち
左まつもと道

ここは街道の交差点です。

国道の脇に公園あり。
今まで気づきませんでした。

まつもと道を進みます。

築堤になっていますが谷があります。地名の通り深い沢です。

伊那谷は東西方向に大きな川がいくつもありますが、昔はどうやって越えていたのかしら?

右に城跡と社あり。
桜のシーズンは華やかです。

城跡の突端から南を望む。
鉄塔が邪魔ですが、このラインが推定断層崖です。


さらに進むと社の参道あり。
左は、いわくありげな民宿旅館です。


ここも街道の交差点です。
春日街道は東山道を再利用したはずですよ。

右が古代人が往来した東山道か、と思うと感慨深いですね。

深沢駅(みさわ?)があった辺りです。

古代街道の痕跡は石碑群です。
奥は車でよく来るスーパー。
歩いて来ると、何か印象が違って見えます。

参道の先に大出高橋神社
神社と街道も関係が深いですね。

直線のはずの東山道をたどってみます。以前から、妙に斜めの道だと思っていました。
バイパスを地下道で横断します。

右の崖下に小学校。


蕗原神社(ふきはら)
なかなか大きいです。

本殿の奥が崖。


神社の前はグランドになっていて、東山道はあっけなく途切れてしまいました。


推定断層崖は続きます。
崖上には携帯基地局も多いですね。

伊北インターで道が途切れたので崖を下ります。
振り返れば確かに崖になっています。


眼下の耕作地を飯田線が走ります。


高速道路や土地改良による改変が多いようです。
ところどころに勾配があるものの、はっきりしません。


西にクイッと急坂あり。
これはどうやら本物。


北上した突き当りに社あり。
手長神社
ただしここは城跡。

背後は天竜川がふさいでいます。
左に国道がありますが歩道がないのでパス。


東へ迂回します。
ここにもクイッと急坂。
どうやら南北に何本も崖があるようです。


天竜川は大きく蛇行しています。


西に国道と飯田線。
崖と天竜川に挟まれた隘路です。
ひと昔前、飯田線の脱線事故がありました。


天竜川の橋のたもとに八王子神社
縁起の石板に目が釘付け。

大古荒神山の北方はすべて湖水で・・・辰の湖と称した・・・・



どうやら天竜川はもっと東側を流れていたようです。
いったい何があったのか?
これは興味深い。

今日はとてもあったか。
ニャーが多数出没。


伊那新町駅到着。
西側に崖が続いています。


地元をあらためて探検したおかけで、新たなテーマを発見してしまいました。
次回、「辰のうみ」を探る!