中央構造線の謎
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断層探検12

砥鹿神社と中央構造線  2015.10.31
有給を足して四連休を獲得しました。オホホッ!
さて、鉄道ぶらり旅のはずが・・・。
まずは飯田線で南下して、三河一宮駅下車。
駅舎も神社風。


考えてみたら初訪問です。
三河国一ノ宮、砥鹿神社


西門から入ります。


裏口なのにメインストリート的。


やっぱり鹿がマスコット。
ただし社名は建立した人の名に由来するようです。

里宮本殿に参拝。
数キロ離れた本宮山に奥宮があります。


へー、昭和49年生まれが本厄ですか・・・・・・。なに-!
嫌な事を知ってしまいました。
そういえば今年はいろいろ体調不良が・・・・・・。

まあ、私は鉄道教徒ですから関係ないさ・・・。ハハハ。

正面から出ますが参道はありません。


すぐ東側は崖です。
地図を見ただけではわかりませんでした。やはり現場は大事です。


東を眺めると怪しい露出があちこち見えます。



灰色はやはり外帯でしょう。
この間に中央構造線があります。

ほう、一ノ宮のすぐそばに神社があるようです。


地図によれば北野神社
大神社のそばに小神社があるのは、不思議といえば不思議ですね。
ニーズがわかりません。


豊川の土手に上がると、本宮山と砥鹿神社の杜がよく見えます。

すぐに駅にもどるつもりでしたが、中央構造線をたどってみたくなりました。
進んでみましょう。

これは大動脈の東名高速道路。
橋がほぼ直上です。


またすぐに神社が見えました。
地図によると橋尾神社
道がそれるのでパスします。


東名高速をくぐって、自作の地図ではここが直上。
本家の地図もほぼ同じ。
右奥に灰色の鉱山が見えます。


反対側は住宅地。
なるべく、たどってみます。


すぐに糺神社。(ただす?)
敷かれた砂は外帯由来のようです。

大きな木がシンボルの王林寺


字が難しい、スサノオ神社


ぽっかり開けました。


ここは地図では大きな道に見えますが、川の両隣に細い道があります。

電位はずっと-0.1kV。ほとんど反応ありません。

森があります。


細いわき道から入ってみると、おっと危ない、弓道場。


ここも字が難しい、スサノオ神社
漢字で書くと、素盞嗚神社。

地図を見ると、他にも神社仏閣、教会まで、高密度に並んでいました。

神社の前を西に向かいます。
地図によれば手前の道は伊那街道
つながってるんだ・・・。


右手の遠通公園に明らかな段差があります。


整地したのでしょうが、その延長上にもクイッと勾配が。

どうやらこの辺が中央構造線

ふりかえると、勾配の遠い先に灰色の露出が見えます。


軽か5ナンバー車限定の道のようです。


豊川市中心部なのに、これは狭い。
日本の道は狭い所ばかりなのに、なぜか自動車はどんどん大型化していますね。
新型プリウスは、またデカくなるそうな・・・。


豊川駅到着。


豊川稲荷がすぐ先です。
こちらも実は未訪問。
いかん、灯台下暗しだ!

稲荷神の使いがキツネです。


豊橋の壺屋が休業中なので、久しぶりにきしめん食べました。
そして、油揚げがのっている理由にようやく気づきました。
神社の本まで書いているのに、まだまだ調査が足りないようです。
この連休は断層にある神社を巡ることにしましょう。(本厄なんて気にしてませんよ・・・。ホントに。)



比叡断層と花折断層  2015.11.01

滋賀の草津で一泊。
翌朝は京阪電鉄の路面電車で坂本駅へ。
比叡山に登ります。


おや、お寺なのに鳥居があるぞ。
背後は比叡山も含まれる比良山地

比良山地東のふもとには比良断層があります。
地図によればこの辺りがその一部、比叡断層

山のふもとには神社があるのでした。
ノーマークの日吉神社
調べてみると二十二社のひとつ。
一ノ宮ではありませんが、朝廷が厚遇した大神社です。


日吉の古い読み方は「ひえ」だそうです。
もちろん比叡のことでしょう。


不思議な形の山王鳥居
東西を見渡す鳥居だそうな。

そういえば、古代人は琵琶湖南部を重視したようですね。大津はほんの一時ですが首都でした。

こちらの神様の使いは猿。
豊臣秀吉の元の名前は日吉丸で、あだ名は「サル」。そうとう縁を感じたんだそうな。


なぜか拝殿は二つあり、こちらは西本宮


本殿はありません。古い形です。


こちらは東本宮
やっぱり本殿はありません。
ご神体は比叡山そのものなのでしょう。


境内のあちこちに磐座があります。


入口に戻って東を見ると、ずっと下り坂。
百メートル先に比叡断層があります。
やはりここも崖の上の神社のひとつでしょう。


比叡山鉄道に初乗車。
この駅舎は登録有形文化財。

ケーブルカーです。
けっこうな混み具合。

なぜか途中に駅が。
連絡すれば停めてくれるそうな。


延暦寺駅到着。


琵琶湖の中ほどが見渡せます。
途中に橋があるのですね。


観光客はだれも行かない二階に上がります。


テラスから元首都の大津方面がよく見えました。

琵琶湖は断層活動による複雑な歴史を持つ古代湖です。
昔は伊勢湾に流れ出していたそうな。


秘境のような宗教都市をイメージしていましたが、観光道路も、駐車場もしっかりあるのですね。


路線バスで比叡山頂付近まで来ました。


琵琶湖の北部まで見えます。


叡山ロープウェイで西側に下山します。
午前中に下山する一般客は、さぞや珍しいことでしょう。


目もくらむような急こう配です。


落下するような感覚で、途中の比叡駅まで来ました。
京都盆地が見渡せます。


ここからは叡山ケーブルでさらに下ります。
比叡山、叡山、比叡。どう使い分けているのかは謎ですな。

ふもとに到着。
ふもと、といえば断層。
すぐ先に花折断層があります。


比良断層とともに、この断層帯は、若狭湾から奈良まで伸びる、構造線レベルの大断層帯です。
手前は鴨川の支流、高野川。


すぐ近くに八瀬比叡山口駅。
なぜか看板は八瀬駅。


叡山電鉄に乗り換えます。


終点の出町柳駅。

パトカーがたまたま写りました。
京都府警といえば「科捜研の女」
大好きな番組です。ゲソコンよっ!


鴨川を渡って下鴨神社に向かいます。


どうやら道を間違えたようですが、河合神社に入ります。


その先に森に包まれた長い参道。

神社はたとえ人が多くても、ひと気がしない感覚になるのは私だけでしょうか?不思議です。

手水舎の水盤は舟形磐座石だそうです。


この辺は、いろいろ密度が高いですな。


正式名称は賀茂御祖神社(かもみおや)。山城国一ノ宮です。
なぜか拝殿は簡素。ありがたみが・・・。


脇から、本殿が二つあるのがチラッと見えます。


説明看板によると、西殿と東殿が並んでいます。
なぜ同じ形の本殿が並んでいるのか?そろそろお気づきですか?

花折断層までは約1.5kmですが、断層との関係は不明ですね。



京阪電鉄で三駅先の祇園四条駅下車。雑踏にもまれながら、東に300mで八坂神社入口。
この低い段差が花折断層

拝殿に参拝。
祇園祭はここの祭礼です。

祇園のルーツはシオンで、古代イスラエルにつながる、というのはもちろんオカルトですが、神道とユダヤ教はいろいろ共通点が指摘されています。謎ですな。

奥に進むと道が続いています。


ここは円山公園。
地図によると、ここにも断層があります。
どうやら東山全体が断層帯ですな。


微動だにしない野鳥。
神社の野鳥は大胆です。
人などガン無視。


公園のとなりの寺院に断層は続いています。
また勢いで、たどってみたくなりました。


観光地は苦手ですが、進んでみましょう。

ここは高台寺
段差が随所に見られます。


この先に京都霊山護国神社
神社や寺院の密度がハンパ無いですな。

幕末の志士たちが眠っています。
行ってみたいのですが、道がそれるのでパス。
司馬遼太郎も好きです。


祇園のシンボル、八坂の塔

そういえば八坂という地名にも意味がありそうですね。

塔は断層崖の上に建っているように見えますが・・・。


清水寺方面はごった返しているので諦めました。
東大路通を進みます。


西側に勾配が見えました。
花折断層です。


空き地発見!
断層直上の法則がここにも?


国立博物館の通用門の先にも花折断層が続いています。


そろそろ次に向かいましょう。
七条駅に移動します。
京都タワーが見えました。京都駅も近いようです。


国立博物館の西側は桃山断層です。
人間が勝手に名前を付けて区別しましたが、若狭湾-三輪山構造線(完全に勝手な自作の妄想名称)の一部でしょう。



再び京阪電鉄で三駅先の伏見稲荷駅下車。


稲荷神社の総本社、伏見稲荷大社
参拝客多数。
外国人比率が高いですね。


なんと外国人人気ナンバーワン。


拝殿に参拝。
はたして外国人は二礼二拍手一礼をするのでしょうか?
こんど観察しましょう。

それにしても本当に外国人観光客が増えました。宿がとりにくくなったので、ぶらり旅のライバルです。

地図によれば、ここが花折断層。
あれ、桃山断層かな?
構造線レベルの断層帯を区別なんかできませんよね。


世にも名高い、千本鳥居。


外国人は、どうやらこれに憧れるようですね。
なんと一晩中ライトアップしているそうな。


ロウソクが火種とは限りませんよ。
ここは大断層の上です。


カラスは確かに油脂が好きですが、くわえて飛んだら火は消えるでしょう。
でも、上手に火で遊ぶカラスがいたら新発見ですね!


この神社の砂利道は妙に歩きやすい。
よく見たらネットのようなものが埋め込まれていました。
ハイテクですな。


JRの稲荷駅から移動します。
ここは、かつて東海道本線でした。


奇跡の光景。
他社ではとっくに絶滅した103系電車が現役です。



上町断層  2015.11.01-02

大阪の都心を貫く上町(うえまち)断層を探検します。
ここは大阪駅から歩いて1キロ、直上の扇町公園です。

ビルに囲まれた都市公園。
元は刑務所のようです。その前は?


公園の東側に丘陵がありますが、人工的なのでしょうか?


もう夕方ですが、断層に沿って南下します。


左が直上の高速道路。
右に堀川戎神社


ビルに囲まれた東向きの神社です。


社名からすると、どうやら堀川が暗渠で流れているようですね。
水は低きを流れる。やはり断層谷なので低地となっているようです。


すこし、それた所に大神社あり。
大阪天満宮


ここが「てんま」の語源です。
天神祭はここの祭礼。

狛犬が、左も阿形なのはなぜ?

この後、なるべく直上の宿に泊まりましたが、とくに異変はなし。まあ普段、直上に住んでますし。


夜に雨が降り出しました。

地下鉄で上町断層に沿って進み、恵比寿で路面電車に乗り換え。
ここは通天閣近くです。


住吉電停下車。
大阪唯一の路面電車です。


西に支線が伸びています。



駅前に摂津国一ノ宮、住吉大社


雨に太鼓橋は危険です。


見事な橋ですが、最徐行で上り下りします。
靴の裏を見ると、だいぶ古くなってツルツルでした。危ない危ない。


この段差が上町断層です。
関西は期待を裏切りませんね。


拝殿に上がるこの段差で、過去に何があったのかは語る必要もないでしょう。祈りの場は自然と定まったのです。


商売熱心に拝殿がいくつもありますが、一番奥の拝殿にお参りしました。
 痛〇退散!

奥まで進むと、神社の外は住宅街です。段差はありません。


引き返すと、やはり明瞭な上町断層が確認できました。


段差は1m程度ですが明瞭です。


路面電車の住吉鳥居前電停の先に南海電鉄が見えます。


住吉大社駅の横に、もうひとつ住吉公園駅。


実は路面電車の支線です。存在意義が?でしたが、とうとう来年1月末に廃止です。
ご訪問はお早めに。


南海電鉄で南下します。
今日は平日なので、通勤ラッシュにもまれます。


JRに乗り換えて、鳳駅下車。
徒歩数分で和泉国一ノ宮、大鳥大社



一ノ宮の割には、質素な雰囲気の神社。
 〇風退散!
木製の鳥居は好みですね。


東口から出ると、神社は一段高くなっているようです。


鳳小学校の横にもクイッと勾配が。

地図によると上町断層は何本にも分かれて、岸和田まで伸びているようです。
ここより北に前方後円墳が並んでいるところもありますね。
上町断層が動いたら、推定M7.6、死者4.2万人・・・。祈りましょう。



紀伊一ノ宮  2015.11.02

阪和線で中央構造線を越え、和歌山駅まで来ました。
わかやま電鐵に乗り換え。
6月にお隠れになった、たま駅長をお参りします。
なんと「死んだ」わけではないのですよ。

途中、にちぜんぐう駅下車。


駅前に日前神宮・國懸神宮
どちらも紀伊国一ノ宮のひとつ。
読み方は「ひのくまじんぐう」と「くにかかすじんぐう」。
ぜんぜん読めませんね。
駅名の「にちぜんぐう」は愛称のようです。

入って左に日前神宮。
おじさんが長時間手を合わせていたので、しばらく待ちました。
全知全能の神に、ああだこうだ指示するようなお参りは好きではありません。
さっと二礼二拍手一礼。これでOK。
ただし今回は「痛風退散!」


近くの池の石垣は緑色片岩のようです。


よく見れば、そこら中に緑色片岩。


これが鳥居の原型だと思います。
つまり立ち入り禁止を意味します。転じて、今の鳥居は「軽い気持ちで入るなよ」と戒めているのでしょう。


右に國懸神宮。
ここも同じ形の拝殿・本殿のセットが並んでいます。大神社ほどこのスタイルが多いですね。
これは伊勢神宮のように、かつては式年遷宮(定期的な建て替え)を行っていたのが、いつの間にか途絶えた結果だと私は思います。



神社の野鳥はやっぱり大胆。
でもさすがに、この距離では少し意識しています。


ふたたび電車で伊太祁曾駅下車。


駅前に神社の杜かと思えば、これは古墳でした。


神社の前は切り通し。


わざわざ掘ったのでしょうか。


壁面を触るとボロボロです。
風化した緑色片岩は倒れた木のよう。


紀伊国一ノ宮のひとつ、伊太祁曾神社。読み方は「いたきそ」
拝殿に参拝。


石垣は緑色片岩です。


上の建物は最新の耐震技術を用いたそうですが、さて土台の緑色片岩は建築に向いているのでしょうか?


境内の一角に磐座
緑色片岩ではありません。
なぜだ!?
しばらく観察してしまいましたが、説明看板を見て納得。出雲から運ばれたそうです。



再び、たま電車に乗れました。
内装もお遊び感満載。

終点の貴志駅到着。
ねこ型駅舎です。
ここも外国人比率高め。

ホームのたま神社に参拝。


たま駅長は「たま大明神」として正式にお祀りされたのでした。なんと飼い猫が神ですよ。
外国人もびっくり!
日本人の死生観や神社の意味がわかるんだそうな。


こちらは二代目のニタマ駅長
フッフッフ、あなたも将来は合祀されて神様ですよ。

和歌山駅に戻りました。
こちらは105系。地元を走っていた119系と同じ顔ですので懐かしい。
どこかの鉄道会社が本気で鉄道神社を建立してくれないかな。祠じゃなくて本格的なのを、ぜひ!



内宮 初参拝  2015.11.03

伊勢市駅前で一泊して、朝早くから内宮に向かいます。
自作の地図ではこの辺が直上。
やっぱり、ぐにゃぐにゃの道です。


宇治山田駅前に神社あり。



説明看板を見ていたら、左上に先客がいました。
一瞬目が合いましたが、朝も早いのでお互い無視します。


始発の路線バスに乗車。
なんだ伊勢市駅にも停まるのか・・・。


外宮にも寄ります。
ここからお客が大勢乗ってきました。
ここで再び中央構造線を越えます。

内宮到着。
正式には皇大神宮(こうたいじんぐう)。祭神はもちろん天照大神
日本の神社の総元締めです。

夜露が降りたのか、びちゃびちゃです。
転倒に注意!

清流、五十鈴川
いすゞ自動車の社名の由来だそうな。


五十鈴川の御手洗場
古代は(場合によっては今でも?)、ここで(みそぎ)をおこないました。



こんな光景を見ると、いやでも神秘的な気分になります。
ありがたや、ありがたや。


外宮などにもありましたが、これがイワサカでしょうか?


拝殿ではなく、門のひとつに到着。
(一般人は門までなのです。)

「ヒミコ様、残り二か月、突然死しませんように!」
これで厄除け完了。神社万歳!

石段は間違いなく緑色片岩
ただしミルフィーユを縦や斜めに切っているようです。(どうやって?)
建築には向かない切り方ですが、模様がきれいです。


正殿の北に荒祭宮
神様の別の性格を分けて祀っているそうな。量子力学のようですね。


こちらは外帯の岩石ではありません。
伝統的に分けているとしたら、なかなか徹底しています。


念願のお参りを終えて駅まで歩きます。
観光なら土産物屋街も完備。
ただし、まだ準備中のよう。

私は別の神社に寄りながら、メインストリートを進みます。


また神社の野鳥登場。
見たこともない、きれいな鳥です。
やっぱり完全に無視されました。

猿田彦神社


ここは道案内の神様。
そういえば、昔から方向音痴です。
どうぞお導きください。
スマホやカーナビが普及してから、だいぶ助かっていますが・・・。

ふりかえると、内宮と背後の山。
雰囲気が三輪山に似ているような・・・。


こちらは月読宮
夜の神様だそうな。


奥に進むと、同じお宮が4つも並んでいます。
これは珍しい。


月を読むとは優雅ですね。


この先に倭姫宮もあります。
「やまとひめのみこと」は大神宮の場所をここに決めた重要人物だそうな。

さて宗教的にたいへん充実した四連休でした。どうか何事もなく、新年を迎えられますように。
あっ、もうすぐ健康診断だ・・・。
※筆者は尿酸値が高いだけの痛風予備軍です。


阿南町化石館  2015.11.23
長野県南部を訪問しました。
休日の公共交通機関が全くない?ようなので、仕方なく車で訪問。
天竜峡から南はサーキットのような酷道です。

何年か前に信南交通が路線バスの大部分を廃止しました。各地で路線バスが消滅していきます・・・。


口の達者なおばちゃんの受付で、入館料はたったの¥100
近所からは古生物学の女性博士が誕生したそうな。へー。


小規模ですが、地元から出た化石がいっぱい並んでいます。


入口の左壁面に、温田駅辺りの見学案内があります。


となりの案内は、すぐ近所のようです。
ほう、断層もあるようですね。
ふっふっふ、血が騒ぎます。


この辺は千数百万年前、海でした。
だから、山の中なのに海の化石が採れるわけです。
その後、隆起や火山活動で陸になったようですな。私は化石よりも、そっちのメカニズムに興味がある人です。
火山とは、どいつのことかしら?


大きなサメの歯。
昔は天狗の爪と言われていたそうです。
そういえば小学校の行事で、化石掘りをした記憶があります。たしか阿南町だったような?


これはサイです。


これが奥歯ですか?
じっと見ているとゾワゾワします。
これ苦手だっ!

こちらはハスの実
昔から、これも無理!
イライラするばかりか、暴力的な衝動に襲われます。
この恐怖症はトライポフォビアといいます。あなたは、いかが?

(無断転載失礼)

フジツボはなぜか平気。
でももし穴の中に何かいたら・・・、キャー!



さて、もらったパンフレットを見ながら、近くの断層を見に行きましょう。

ただ南に行けばいいのさ、と軽快に進んでいくと、いきなり北へ進んでいました。
さすが方向音痴。

気を取り直して南へ進みます。
来るときにも思いましたが、道がグニャグニャしていますな。


急こう配を下ってくと、コンクリート擁壁が出現。
断層の合図です。


トンネル出現。
この辺に断層があるはずです。


看板はあるのですが、よくわかりません。


パンフレットによると、トンネルと断層は直交しているようです。


どうやら、この面が断層の模様。


トンネルを抜けると、左に岩壁が続いています。


この道の右も左も、断崖絶壁です。


ここは稜線にある道のようです。


断層とはいったいどういう定義なのか?
岩の割れ目がぜんぶ断層なら、日本中、断層だらけです。
たぶん、それが真実なのでしょう。


S字カーブになっていて稜線を下ります。


ふもとのカーブに建物あり。
季節運営のキャンプ場かしら?


パンフレットによると、この辺りは破砕帯です。
グチャグチャですな。


ふもとは谷が開けました。


怪しい断面。
化石採掘場かしら?


ここは企業の土捨場だそうな。


振り返ると、広大な谷です。


断層発見!
世にも珍しい、正断層ではないですか!



右端がその断層。
左の谷とは直交しています。
別の断層なのですね。


大断層はいずこ?
植生のせいで、よくわかりません。


この谷は川が流れていません。だから土捨場にしてもいいのでしょう。
断層活動で、川がとなりの谷に移ることもありますね。


T字路に突き当たって、ようやく坂道が終了しました。
引き返すことを考えるとゾッとします・・・。


あたりは農耕地。
殺伐とした断層谷とはうって変わって、のどかな山村です。


坂道をヒーヒー言いながら戻りました。
地図によると標高差120m

化石館の近くに祠がありました。
断層との関係は知る術もありません。




古根羽火山  2015.12.12
長野県南端の村を訪れました。

やっぱり公共交通機関が厳しいので、酷道を車で突破して訪問。
めったに来ませんが、阿智村から南はとてつもないアップダウンです。なぜ?

根羽村図書館で下調べしようと思ったら、休日は閉館でした。残念。

すぐ隣は宗源寺
近くの神社を検索しても見つかりません。


中央は村役場。
一段低くなっています。


坂を南に下りたここは中心市街地でしょう。


農協スーパーのわき道を進むと川岸に看板発見。


ここは1300万年前の火山跡です。
山体はなくなり、火道(マグマの通り道)が発見されています。
火道の範囲は長径900m

文献はこちら

長瀞露頭
この辺が中心火口の縁だそうです。


とすると、この東側の谷が中心火口。
はたしてカルデラなのか?

すぐ近くに白渕露頭
急流の川底にあるようです。

正面の川底のはずですが、遠くてよく見えません・・・。
左の流れには弁天露頭があります。

どうやら露頭はすべて川底にあるようです。難易度高め。

市街地を進みます。


南に進むと愛知県です。
地図によると伊那街道。豊川まで続くのか・・・。


伊那街道を進みます。


橋の上から西を見ると、弁天露頭のあたりが見えます。


東を見ると平瀬橋上流露頭があるはずです。あとで見ましょう。


民家の庭に赤茶けた岩石。
どうやらマグマにあぶられた花崗岩のようです。


川沿いに進むと山が迫っています。
カルデラだとすると外輪山ですが。


見渡してみると、たしかに同じような高さの山がぐるっと取り囲んでいるようです。


ところどころに岩がゴロゴロしています。川に運ばれたのか、カルデラ噴火の残骸か?


外輪山?に少し登ってみます。
この谷に何本も火道が立ち上り、はるか上空にあった火口からポンポンと噴火していたのです。


外輪山?の斜面は堆積した地層のようです。何百メートルもの高さが川に削られた証拠なのでしょう。

阿智-天竜峡ラインより南の起伏の多さは、どうやら火山活動と後の川の浸食に原因がありそうです。
なら他の小盆地も火口跡なのか?・・・。

川の対岸に看板が見えます。
引き返すのが嫌いな性分なので、川に沿って進みます。


これは磐座か。

途中、住民の男性と話ができました。
火山があることは聞いていたけど、よく知らなかったそうです。
それは、もったいない。元は火口の村なんて他にないのに・・・。


ようやく街道に出ました。
伊那街道をさらに進むと、津具金山があります。そこも元は火山。
この根羽の辺りに金や水晶が出ても不思議はないのですが、未発見です。

そういえば最強の山師、武田信玄が亡くなった場所だという伝説があるそうです。

街道を引き返します。


橋から川を見ると、大きな岩だらけ。



領家帯なので一帯の基盤岩は花崗岩です。どうやら地面の下はすぐに花崗岩の岩盤があるようですね。


ようやく田島露頭に到着。


玄武岩(溶岩)や火道の跡が見られるようですが、はるか谷底。
観察路を作るのも難しそうです。


街道をそれて次の露頭に向かいます。


急こう配を進んでいると、GPS観測地点発見。


ここは村民体育館とグラウンドのようです。
文献によると、ここの地下は堅い花崗岩の岩盤です。


となりは元学校のようです。
毎日通うには、坂がきつ過ぎますね。


神社発見、伊勢神明宮
なぜ住宅のない、ここに?
最初の案内看板によれば、ここが中心火口の縁にあたります。


ようやく急こう配が終わり、林道が続いています。
12月なのに汗ダクダク

林道の突き当たりに岩壁あり。
花崗岩です。


沢に沿って西へ進みます。



崖から水がしみ出しています。


よく見ると、やっぱり花崗岩。
文献などが言うところの「新鮮な花崗岩」に違いありません。


古い橋を渡ります。


南を見たところ。
この先に釜渕露頭があるはずですが、案内看板を発見できませんでした。


ようやく盆地に戻りました。
右奥に神社が見えます。

崖の上の六柱神社
ここも中心火口の縁でしょう。
諏訪系のようで御柱祭があるそうです。


石像群の向く先に不思議なものが見えます。


田んぼのあぜ道を失礼します。


四季桜露頭の看板発見。
やはり谷川に下りないと見えないようです。

すぐ近くで、なんと桜が咲いています。
四季桜とは、このことでしょう。


12月に桜が見られるとは知りませんでした。エルニーニョのおかげか?


川に沿って進むと案内看板が見えます。
今度は観察路があるのか?

黒地露頭
「矢作川の中を歩いて行かないと、露頭にたどり着けません。」と明記。
最強難易度の露頭ですな。ガックリ。


河原から見えるのは根羽小・中学校
生徒は60人くらいのようですが、子供は一人も見かけませんでした。

しばらく進むと、川の対岸が岩壁になっています。


平瀬橋上流露頭。


どうやら観察路があります。


これは玄武岩か?
石を見ただけで種類が分かる人がいますが、うらやましいですね。勉強しましょう。


赤い岩壁はマグマにあぶられた花崗岩です。接触変性というやつですな。


看板によると、マグマが残っているそうな。
これかしら?

それとも、これかしら?
マグマの通り道なら火道そのものでしょう。


スタートしてから約2時間。
平瀬橋まで戻ってきました。


さらに進むと看板発見。



往路では見つけられなかった弁天露頭です。


大規模な爆発噴火の証拠だそうな。
これが火道のようです。

左にあるのは弁天岩。
文献によると堅い花崗岩だそうです。
中心火口の中に基盤岩が残っているということは、火口が吹き飛んだカルデラ噴火ではないようですね。
さらさらマグマの盾状火山だったようです。

この辺りは美濃三河高原といいます。
古根羽火山など複数の火山が高地を作り、長い年月を経て浸食された結果が今の形です。
鳥の目で見ると、八ヶ岳のような大きな火山が想像できませんか?
下の黒い線はJR飯田線。そしてほぼ中央構造線をなぞってます。
巨視的には、伊豆半島にグイグイ押されて、中央構造線と直交方向に割れ目噴火が起きたように見えますね。



つづく