中央構造線の謎
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断層探検13

豊川稲荷と中央構造線  2016.1.9
今年最初の三連休。初詣を兼ねて旅します。
飯田線 豊川駅下車。
何度も降りている駅ですが、実は初参詣です。(ああ恥ずかしい。)


キツネの案内に従って進みます。



混雑にもまれながら、ようやく到着。
日本三大稲荷、豊川稲荷こと、
豊川閣 妙厳寺(みょうごんじ)。

鐘があるから、やっぱりお寺です。


でも鳥居もあるんだよな。
神仏習合が廃仏毀釈を経て、元に戻ったんだそうです。

狛犬ではなくキツネ。
ここのキツネは、ちょっと犬っぽい。


奥に進むと霊狐塚


この巨岩はまるで溶岩のよう。
いったい何でしょうか?不思議。



初詣を終えて、駅まで戻りました。
撮り鉄は、いまいち。

近くで土地改良中のようですが、勾配があります。


すぐとなりに、寺だか神社だかよくわからない三明寺?あり。


少し引き返すと、このうねる大地は
中央構造線
でしょう。


崖の上に登ってみました。
高低差はわずか2~3メートルですが、直線的です。
となりの駅までたどってみましょう。


崖の上に沿って行くと大きな花井寺


ここは分かりやすく階段になっています。
だんだん高低差が大きくなってきました。


右は飯田線。
もちろん前から気づいていましたが、飯田線は直上をたどっています。


唐突に今川義元の墓所出現。
私は信長好きなので、伝説の踏み台になった気の毒な人物といったところでしょうか。


入ってみると、こじんまりとした大聖寺
すぐとなりは飯田線と崖。


牛久保駅到着。
この駅も直上でしょう。

この先、小坂井駅を経て豊川放水路まで、神社も寺も密集しています。


三嶋大社、寒川神社、そして棚倉構造線まで  2016.1.10

静岡県を横断して、この日は関東の神社巡りをするつもりでしたが・・・。


三島駅から、しばらく歩いてわき道から入ります。


伊豆国一ノ宮、三嶋大社
三島市は伊豆だったのか。へー。


南が正門でした。
参道がさらに南へ続いています。

鳥居の前の道は旧東海道


すぐ近くに気になる案内看板が。
伊豆は全域、ジオパークです。


生きている伊豆半島
まさにその通りですが、生きているどころか、日本全域がとてつもなく活きがいいですよね。


あっと、びっくり。
富士の溶岩がすぐ近くまで流れていたのでした。
どうやら立地は浅間大社に似ていますね。


清流をたどると公園あり。


ここが溶岩の先端だったようです。
湧水が豊富で川が流れ出しています。


これが溶岩でしょう。
となりに大きな公園がありますが、開園前でした。残念。

駅に戻ると富士山が見えました。
富士はフィリピン海プレートの最前線です。


ホームで揚げたてのかき揚げそばを頂きます。
エビは駿河湾の名物。南海トラフが形成した深海の恩恵です。



続いて、相模線 宮山駅下車。
しまった、すごい人。


ぞろぞろ歩いて、
相模国一ノ宮、寒川神社


これは数十分コースでしょう。
あきらめて、脇の神馬に参拝。トホホ。
やっぱり神社は早朝に限ります。



神社巡りは断念して乗り鉄&駅そば巡り。

夕方、常磐線で久慈川をこえます。
自作の地図ではここに棚倉構造線があります。


大甕駅下車。
「おおみか」と読みます。
古代語のような言葉ですね。

一つ手前は東海駅です。
地図を見ると、東海原発のある村でした。あらら。なぜか構造線の近くに原発が多いですね。

近くを調べると、神社あり。


ここも街道に面しています。


崖の上の大甕神社
ヤマト王権が征服した敵を祀ったようです。
出雲や諏訪と同じ成因ですね。


これは宿魂石
まつろわぬ悪神を封じ込めたそうな。
負けた側は悪者なのです。
いつの時代も、勝てば官軍ですね。

もう暗いので何の石だかよくわかりません。

遠くに海が見えます。
ここも被災地。震度6強。
日立市の震災関連死者13名は茨城県最多です。


氷川神社  2016.1.11

大宮駅からスタート。
受験生がぞろぞろ歩いています。
受験シーズンが来るたびに、やっぱり勉強しとけば良かったなぁと後悔します。


大規模な遊歩道の参道です。


岩石園までありますが、名札を付けてほしかった。
岩石のお勉強中です。


かなり歩いて鳥居に到着。
親子連れが鳥居に礼をしています。
よく見かけますが、実は意味深な行為なのですよ。


手水舎に説明書あり。
これは日本一親切です。
このままハンカチにすれば売れそう。

ヒシャクから直接飲んでるオヤジがいるんだよなぁ・・・。

すいてて良かった。
神社は早朝に限ります。
武蔵国一ノ宮、氷川神社
4km北に中央構造線

もう一つ一ノ宮がありますが、そちらは別の構造線沿いですね。他の機会に訪れましょう。

梅が満開。
エルニーニョのせいで暖冬です。



近くの博物館に寄ります。


埼玉県立 歴史と民族の博物館

膨大な古代の遺物を拝めます。
日本のやかんは昔からこの形なんだ。


このヒツギは、緑色片岩じゃないですか。
板にするなら最適なのですね。
他にも展示の石碑に利用されていました。


母子観音は隠れキリシタンの臭いがプンプンするのは私だけでしょうか?
長崎が本場ですが、関東にも信仰はあったのかしら?


館内の小図書館。
これは気になる、埼玉の神社
うらやましい。
長野版もぜひ!


近くの鉄道博物館にも寄ります。
最近見かけなくなった古いあずさ発見。お久しぶり。

いろいろ参拝できました。
さて仏像構造線に興味が沸いてきましたよ。仏像っていったい何?



鉄道で行ける鳴子カルデラ  2016.2.6
いくつかのカルデラは簡単に訪問できます。

陸羽東線 鳴子駅下車。
左手の山は外輪山です。

新幹線駅の古川で乗り換えてから、およそ50分の手軽さ?。


硫黄臭いと思ったら、さっそく駅に足湯が付いています。


案内看板でお勉強。
こちらは、すぐ近くにある鬼首カルデラ。ミニ阿蘇山のような、わかりやすい形です。


この鳴子カルデラは、中央部に火口がいっぱいあります。
それらを鳴子火山群と呼ぶようですが、駅近くから見てもよくわかりません。

鳴子といえば、こけし
こけしの語源は・・・・・・。東北には悲しい歴史があるようです。


あちこちで湯煙が上がっています。
確実に、ここの火山は活きていますね。


郵便ポストまで、こけし。
なかなか凝ってます。


湯煙の向こうに神社発見。


積雪のため、戻れなくなりそうなのでここで断念。
地図によれば八幡宮神社


落石があるようですが、中央火口丘に少し登ってみます。


これは激しい噴気口。
火口の定義によると、固体や液体を吹いた穴。
ならば温泉が噴き出す穴なら間違いなく火口ですよ!

そのすぐそばに、また神社あり。


ここも雪で進めず残念。
地図によれば古峯神社


噴気口と神社はセットのようです。
古代人は爆発的な噴出を恐れたのでしょう。


いったん引き返して、別の坂を上ります。
ぐるっと周りに、同じ高さの外輪山があるのがよくわかります。


標識によると延喜式の神社があります。


土俵も完備。
すもうは地鎮祭の一種でしょう。


温泉ホテルの谷間に温泉神社
837年の噴火のときに建てられたそうな。古代の建立の理由がはっきり残っている神社は珍しいですね。

雲仙のように、昔は「うんぜん」と読んだかどうかは不明です。


あたりに噴気口は見当たりません。


よく探すと、半分読めませんが看板発見。
どうやら硫化水素(H2S)の噴出口があるようです。
高濃度なら一息であの世行き・・・。
温泉地のくぼ地を甘く見てはいけません。

駅に戻ります。

この先に赤倉カルデラ、向町カルデラもあります。
この後、列車で通りながら観察しました。雪がなければ列車を下りて、よく見たかった。

Wikipediaのカルデラの一覧(日本)から、地図にプロットしてみました。

←画像をクリック


米沢の棚倉構造線  2016.2.7

早朝、上杉神社を訪問。
ここは城跡です。

米沢といえば上杉鷹山
「為せば成る!」 まったくその通り。行動する人にのみチャンスは訪れます。

ユーモラスなのけぞりびっくり系狛犬


南に進みます。
道路は凍結していてツルツルです。


ここは山形大学工学部。
会ったことはありませんが、仕事上のライバルの先生がいます。


大学の真ん前に、なんと一宮神社
ちっちゃいです。
縁起によると、どうやら置賜郡の一ノ宮。


こちらは有名建築。
重文の旧米沢高等工業学校本館。


南米沢駅から列車に乗ります。
米沢盆地には環状鉄道があります。


西に見えるのは米沢盆地西縁断層
活動の記録はありません。

今泉で山形鉄道に乗り換え、梨郷駅下車。(りんごう)



自作の地図ではこの辺りを棚倉構造線が通ります。
文献によると、この山で梨郷マイロナイト(圧砕岩)が発見されました。

駅の看板によると宗教施設だらけです。あまり時間がないので、訪問はパス。


すこし南から見渡してみます。


崖崩れに赤土が見えます。
これがマイロナイトでしょうか?



南に見えるのは広大な米沢盆地。

大学時代にここの自動車学校で合宿免許を取りました。なつかしぃ。
自転車であちこち行きました。


列車を乗り継いで、米沢駅。
牛肉系駅弁で有名です。

少し散策してみます。
これは最上川
棚倉構造線はどこを通っているのかしら?

地図にも載ってるアイディアの泉神社
開発系技術職はのどから手が出ます。ブレークスルー、イノベーション、コロンブスの卵。まずは行動しましょう。
為せば成る!を信じて。


仏像構造線の謎 2016.2.21

中央、糸静、棚倉の次に有名な構造線(大断層)が仏像構造線です。

中央線 富士見駅下車。
奥に八ヶ岳。

駅近くの、なぜか地図にない富里諏訪神社
謎の西向きですよ。フッフッフッ。
背後にあるのは、もちろん構造線ですね。

諏訪地方の神社には、やっぱり御柱あり。


南に進んで丸山公園。
墓地公園です。


各墓地に上が磨かれた岩石が置かれています。
この辺りの風習かしら?


山頂には溶岩らしき岩。
八ヶ岳の火山噴出物でしょう。


八ヶ岳連峰が全部見えます。
実は日本アルプス並みの大山脈なのですね。
ぜんぶ火山の山脈とは壮大です。


南東には霊峰が見えます。
もちろん町名の由来でしょう。


そして南に見えるこの渓谷は釜無川の谷。
このラインが仏像構造線とされています。






Wikipediaの記述を頼りに、地図を作ってみました。
あちこち怪しいですが、大外れはないと思います。

←画像をクリック

この先に、釜無川の延長に位置する別の渓谷があります。


その手前に地図にない神社あり。


富士見台諏訪神社。やっぱり御柱付き。
どうやら各集落ごとに諏訪神社があるようですね。

すぐ右は構造線の急崖です。


坂を下りていると、ちょうどスーパーあずさが走ってきました。
すでに後継車両の試運転が始まっています。もうすぐお別れか・・・。


この谷は立場川(たつば)の渓谷です。

立場川-釜無川のラインはほぼ一直線です。
そして合流地点あたりを糸静線が交差しています。中央構造線と違って、断ち切られてはいないのですね。なぜ?

こちらは産業遺産。
旧立場川橋梁
ここを蒸気機関車が走っていたのか・・・。
今も昔も構造線を越えるのは大仕事です。

中央道も長大な橋で越えています。


断層崖なのか立場川の浸食崖なのか?
岩石を見てもよくわかりませんが、その両方なのでしょう。
谷が先か、川が先か。ニワトリと卵の話と同じですね。

急崖をヒーヒー言いながら上ります。


その先に有名病院あり。
富士見高原病院
もとは結核療養所(サナトリウム)。

多くの文人がここで過ごしました。

病院の敷地は起伏に富んでいます。
構造線の交差点ですから、あちこちに断層があるのでしょう。


ウロウロしていると、資料館入口発見。


残念。日曜日は休館でした。




日光治療の様子。(病院のHPより)

紫外線の殺菌作用に期待したようですが、雪の舞う中でも行われたようです。
やはりオゾンの殺菌効果を経験的に知ったから、この地に病院は建てられたのでしょう。

高峰火山が集まる南八ヶ岳。
この真下を仏像構造線が通っていることを知ってしまいました。
謎の多い八ヶ岳の歴史も、構造線がカギなのかもしれないですね。


噴火湾の謎  2016.5.1
初の北海道探検です。
4月に熊本で大きな地震がありました。構造線の本気の地震はやはり規模が違いますね。ご用心、ご用心。

JR函館駅から特急に乗ります。



右に見えるのは駒ケ岳。
バリバリの活火山です。


海沿いの洞爺駅下車。


ここもジオパークです。


バスで洞爺湖へ移動します。
客はほとんど外国人。


外輪山を上ります。
遠くに見えるのが謎の噴火湾


外輪山の反対側を下ると、洞爺湖の向こうに羊蹄山が見えてきます。
最近は静かですが活火山です。

あっという間に終点のバスターミナル到着。


ここの二階に小展示があります。


小熊がお出迎え。
これならなんとか勝てそうだ。

展示物の軽石などを触ることができます。


三階ではジオパークの展示があります。


地元の南アルプスも紹介あり。


代表岩石はチャートでした。
赤石から連想したのでしょうが、結晶片岩と花崗岩の方がよかったかな?

縄文文化と噴火湾の展示

ここにも縄文土器があります。
ということは、アイヌは縄文人の子孫という証拠でしょう。
そしてヤマト民族も、もちろん縄文人の子孫です。


逃げてっ!!
と叫びたくなる写真ですが、普賢岳の災害まで火砕流火砕サージの怖さは知られていませんでした。

有珠山は外輪山の一部。
本体はもちろん洞爺湖そのものです。

近くを散策します。
怪しい建物群が見えます。


火山科学館訪問。


入場料を払って有料エリアに進みます。


遺物や映像資料などが見られます。


なんと近くに火口があるではないですか。


噴火のドキュメント映画を見ます。
噴火映像に合わせて床下が不気味に振動します。地震嫌いなので心臓に悪いです。


無料エリアも見学します。

さらっと書いてありますが、これが文明をも滅ぼす破局噴火です。
火山爆発指数(VEI)は阿蘇4噴火と同じく
北海道と東北全域に灰が降り積もりました。

背筋が寒くなるのか、5月でも暖房継続中。


火口の方に向かいます。


バスの時間があるのであまり長居はできません。
係りの人に勧められた建物を見ることにします。


こちらは町営温泉「やすらぎの家」跡。


当時、そのままです。


こちらは団地の跡。


これは熱泥流に流された橋。


団地の一階は埋まっています。
橋がぶつかった跡が生々しい。

もうちょっと進んでみます。

橋の跡があります。


なんと洞爺湖電気鉄道の鉄橋跡です。
そんな鉄道知らなかった。
戦前に短期間存在した会社でした。

だいぶ登ってきました。


小鳥のサエズリが、すがすがしい。


見ずらいですが、断層があります。
火山性の活断層というそうな。
なんと鉄筋三階建てアパートを引き裂いたのですと!

これぞ火口。
その名も珠(たま)ちゃん火口。(オイオイ!ちゃん付けかい!)
2000年にできた最新の火口です。

洞爺湖のほとりの町までとっても近いです。

洞爺湖電気鉄道跡も飲み込まれています。

すぐ近くに一回り大きな火口もあります。


緑がだんだん回復していますね。


これは有(ゆう)くん火口
予知に成功して犠牲者が出なかったから許される名前ですね。

まだ地熱は残っているようです。


バスの時間が迫るので、急いで戻ります。

ここは元国道でしょうか?

ミラーや砂箱が残されています。



なんとか間に合いました。
先に進みます。
やっぱり外国人が大半。

このバスもあっという間に昭和新山に到着。
バスは洞爺駅から直通でもいいのでは?


郵便局長の三松正夫氏が記録を残しました。
戦時統制下でしたが立派ですね。マニアの鑑。

大観光地です。


情報館を訪問。


少し展示があります。


噴火湾はまん丸です。
怪しい怪しい。


命名はイギリスの船長が「ボルカノベイ」と呼んだからだそうな。


おや、ロープウェイがあります。


見れば、たしかに有珠山に登っていきます。
次のバスは見送ることにしましょう。

昼食をとってから、並んで乗り込みます。


ずんずん高度を上げて、あっという間に昭和新山を越えました。


山頂駅到着。
洞爺湖が見渡せます。

阿蘇と同規模のカルデラです。
中央火口丘も、もちろん火山でしょうね。


ここまで来たら、行けるところまで行ってみましょう。
ヒーヒー言いながら階段を登ります。



展望台到着。


こうしてみると昭和新山は、洞爺カルデラのニキビ程度ですね。


こちらは1977年噴火の銀沼大火口


周りは、荒々しい岩山です。
そこら中が火口なのでしょう。

南は噴火湾。
しばしば疑われますが、噴火湾がカルデラだという根拠はないそうな。

噴火湾の向こうに駒ケ岳。

噴火湾の周囲には駒ケ岳、濁川カルデラ、洞爺カルデラがあります。さらに少し離れて羊蹄山など、無数の火山が取り巻いています。

遊歩道がありますが、タイムアップ。




ふもとのロープウェイ駅の下に情報館がありました。


他にも博物館がいくつかあるようです。


ついでに熊牧場も見学。

クマではなくヒグマ(羆)です。
これはデカい。とても敵いません。

カラスとの地味な戦いが面白い。
客が投げたエサの半分はカラスが持っていきます。


夕方になって、湯気が多くなってきました。気温のせいか?
地球にとっては、ついさっき出来たばかりの新山です。この形が永遠のはずありませんね。
次の噴火周期も間もなくです。



バスで戻って洞爺湖。
羊蹄山は30km離れていますが、大きく見えます。
別名、蝦夷富士

駅前桟橋の名は、洞爺湖電鉄の名残りでしょうか?


最終バスで洞爺湖を後にします。
再び外輪山を上ります。


洞爺駅前で日没を迎えました。

このシーン、橘湾(長崎)でも見たような気がします。
橘湾も新学説が定着して千々石カルデラと呼ばれるようになりました。
しかも千々石カルデラの広域テフラは確認されていないようです。

地図を見れば見るほど怪しい噴火湾。
ほんとうにカルデラではないのか?
まさか隕石クレーター、いやセカンドインパクトか、古代核戦争か?
研究テーマに加えていきましょう♪


アイヌと縄文人  2016.5.4
ヤマト民族と同じく縄文人の子孫の文化を体感します。

白老駅下車。
連休中、この日だけ天気が悪い。

三角屋根の駅舎。


アイヌの置物は子供の日仕様です。


北海道各地で見かける三角のモチーフは何を意味するのでしょう?
謎ですな。


駅前から散策路が続いています。


アシンニタイ -新しい森-
アイヌ語でお出迎えです。


見たこともない青い鳥がいました。
この森は鳥の楽園です。


ゆっくり巡っていると雨が強くなってきました。
大きな湖が見えます。ポロト湖です。


これはキツツキでしょう。
コゲラかな?


駅から約900m。
まあ、駅前と名乗ってもいい範囲でしょう。


しらおいポロトコタン
 アイヌ民族博物館

民営のアイヌ博物館です。

大きなコタンコルクルの像。
アイヌの偉人のようです。


CMでおなじみの北海道犬。
英訳は Ainu dog です。


ヒグマは気持ちよさそうに水浴び中。


アイヌの集落が再現されています。
家のことをチセというそうな。


はじめに博物館を見学します。


ここもヒグマがお出迎え。
北海道の観光地アルアルですね。


これを見たかった!
アイヌの祭壇。


イナウというボンボンを捧げます。
これは諏訪の御柱祭りでも見かけますね。なるほど!

これは地鎮祭。
祭壇は神籬(ヒモロギ)の原型なのかもしれません。
アイヌはやっぱりコーカソイド(白人)に見えます。特に男性が顕著。

津波除けの祈り

ここは太平洋に面していますので、津波災害も多かったのでしょう。

卑怯な!
ヒグマの叫びが聞こえてきそうです。

冬眠明けの春は捕り放題ですね。


船の先にもイナウがあります。
見れば見るほど諏訪人につながりそうです。

アイヌ語でミシャグジはどんな意味になるのでしょう?

エキゾチックなアイヌの民族衣装。
でも模様に惑わされずによく見ると、実はほぼ和服です。模様も風呂敷やハッピに受け継がれているような気がします。

ちょっと雰囲気が違う(ような気がする)異郷の人。
かなり興味を引くものですよね。
なるほど、転校生はモテるわけだ。


三重県出身の探検家、松浦武四郎。
北カイ道の名付け親です。

カイとは、アイヌ自身の呼び名です。

北海道にはこんな番組もあるんだ。

STVラジオ ← どこでも聞けます。

外を散策すると、湖畔に祭壇があります。
祭壇をヌサと呼ぶそうです。
ヤマトでは神官が持つ御幣のことをヌサと呼びますね。
なるほど、やはり先祖は共通なのです。



このチセでイベントがあります。


人が少ないので最前列に座りました。


天井を見上げるとサケの燻製が。
塩だけで仕込むそうです。

だんだんお客が集まってきました。

軽妙なトークの後、豪快な弓のダンスが始まります。


今度はアイヌの歌。
きれいなお姉さんが歌います。
縄文人の歌なのかもしれません。

混血が進んでいるようで、ヤマトと見分けがつかない人がほとんどです。
やっぱりアイヌはモテるんだ。

これはイオマンテ
獲物の鎮魂儀式です。
春先はさぞ忙しかったでしょう。


アイヌの芸能を生で堪能しました。
どこかに遠い先祖の文化を感じますね。
胸熱です。

チセの屋根にも神社の原型があるのかも・・・。

2020年に国立博物館に生まれ変わるようです。忙しくなりそうですね。


スーパー北斗が駆け抜けます。
北海道新幹線と共に賑わいますように。
江戸期までのアイヌは縄文人の直系の子孫でしょう。ヤマトは渡来人と混血が進んでしまいましたが、縄文人のDNAを熱く内に秘めています。その狩猟民族の情熱が発揮される時、それを大和魂と呼ぶのではないでしょうか。サッカーとかで♪


つづく